2012年05月17日
不吉なまでの美しさ
源氏の君のあまりの美しさに、「不吉とさえ思われる」というこの表現、
美しすぎると神様が魂を連れて行ってしまう
または物の怪に魅入られてしまう
究極の賛美の表現です。
昨日は母が人工股関節をいれる手術を受けました。
高齢ながら身体は手術に堪えられる健康状態、
ただ全身麻酔の時に持病の喘息の発作が誘発されるとやっかなことになる。。。
このリスクを踏まえてなお決断をした母をみんなで応援しました。
おかげで仕事ではなく帰郷、久々に長期間京都にいます。
手術は9時から。兄が付き添ってくれ
父は身体の調子のこともあって私とお留守番。
前夜は眠れなかったようです。
父にピースポーズを取って貰って写メールで兄に送ると
兄から「おふくろの勝ち」と返信がありました。
点滴をしながら拳を握って笑っているいる母の写真。
父のピースサインはいつも手の甲がこちらを向いているので
「お父さん、それは チョキ。」
それに対して母は グー で返したのでした。
その写真の笑顔があまりにも美しくて私はドキリとしました。
リスクのことを不安な気配と発しないようにできるだけ考えないようにしていたのに
この笑顔のきれいさに、言葉にできないような気持ちが湧いてきました。
その時に思い出したのが 「不吉なまでの美しさ」。
今までは表現だと思っていた言葉がいきなりリアルに迫ってきたのでした。
父をデイサービスに送り出してひとりになると落ち着かなくなりました。
お仏壇に向かって、ご先祖様総動員。
「お母さんの霊の緒をしっかりおさえててね」と御願いしました。
母の実家は日蓮宗のお寺、過去帳の十六日には日蓮上人の誕生日 と記されていました。
なんだか力づけられた気になりました。単純。
普段の自分は特に宗派を決めないでいるけれどここぞとばかりに
日蓮上人、御願いね。
そうして世界中のみんなを味方につけて連絡を待っていると
無事終了のメール。
病院にすっ飛んでいくと、麻酔から覚めてもうろうとしている母。
大きく切開したのにすぐ足首や膝を曲げたりしないといけないのは可愛そうかと思ったけど
看護師さんのサポートも手厚く安心できました。
身体の弱かった母は過去にもう何度も命をいただいているようです。
そんなエネルギーをくれる命の源泉が本当にどこかに存在するのだと思えました。
世界中にありがとう。
2012年05月07日
最近のわたくし
東京でのお花見がほとんどできなかったので
遅い春を追って山梨県明野へ行きました。
途中 桃の花が満開で ピンクの絨毯、きれいでした。
昨年樹齢二千年のエドヒガンザクラに会いに行ってからすっかり明野ファン。
桜名所マップ以外にも、歩けば桜。さまざまの。
お世話になった写真家の志鎌猛さん宅で
奥様お手作りのお味噌のおいしさにひっくりかえりそうになったわたくし
明治二十三年?あたり創業の「麹やさん」にまで連れてってもらって
家に戻ってから初めてのお味噌造り、塩麹も作りました。
最近始めたfacebookにその過程の写真を連続アップ、
facebookってとても手軽にほいほいアップできるのね。
愛用のipodで上手とはいえない写真をとってはぽい。とってはぽい。
よかったら観て下さいね
http://www.facebook.com/tomoko.yamashita.357
明後日から京都。
母の入院に際して日頃親不孝がさねの私にも手伝えることがあればと
猫の手にも似た存在だけど母の日に一緒にいられたこともなかったので
母が心配ながらもちょっと嬉しいわたくし。
京都ではおさんどんどん 家にいることが多いので
合間に源氏物語のテキスト台本作りにも打ち込もうか。
源氏の打ちっ放し。これは台本作りをさしまする。打っても打っても終わらぬ。
三ヶ月後に母が戻ってきたら一緒に台所に立ちたいわたくし
2012年05月03日
京都 花の宴・・・
来る5月26日(土) 京都野仏庵にて「花宴」を語ります。
やるかたない藤壺への想いは、朧月夜の君への狂おしい恋にかたちを変えて
あまやかに源氏を苛みます。
新しい恋に夢中になっているようでいて
その心の底には藤壺への烈しい恋慕の炎がゆらめいています。
あえて危険に身をさらすように朧月夜の君にのめり込む源氏。
それは後に弘徽殿の女御の怒りをかい
須磨流謫という悲劇へと展開してゆきます。
今回は短い巻ですので、原文もお聴きいただこうと思います。
数百の石仏が迎えてくれる野仏庵を散策の後
お庭に藤木がある語り会場 「藤壺」と私が勝手に呼んでいるお部屋で
開演までの時間お抹茶と御菓子でおくつろぎ下さい。
お隣は茶室「雨月席」 こちらもごらんになれます。
http://kyo-kotoba.sakura.ne.jp/12-5-6.html
5月26日(土)
開演 午後1時30分時(開場1時)
入場料 3.000 御抹茶と御菓子付き
お申込は野仏庵 TEL 075-721-3000 FAX 075-712-8828
(局番がTELとは違います。お間違えなく。お留守のこともあるので、FAXをお持ちの方は御手数ですが、御名前、人数、ご連絡先を明記の上お申し込み下さい)
お問い合わせ 紫苑京都事務局 TEL 090 9054 1677 FAX 075ー541-6041
いずれも夜遅い時間はご遠慮くださいませ。
山下智子へのメールでも 前日まで承ります。御名前、人数、代表者の方のお電話番号、メールアドレスをご記入下さい。
野仏庵紹介 (りせさんのブログ『京都を歩くアルバム)
写真がとてもきれいです。
野仏庵 交通手段のページ
お誘い合わせの上是非お運び下さい。
2012年04月18日
突然ぴよぴよ!?
「薄雲」の巻 無事終わりました。
明石の子別れ、藤壷の死、冷泉帝出生の秘密
明から暗へと 長く重い巻でした。
初日はなぜか終盤咳き込んだ後、声がいきなりぴよぴよに。
一瞬ヘリウム吸ったみたいな声になって驚きました。
冷たい雨が降って 当日のキャンセルもありましたが
二日目は満員御礼 濃密な空気に満ちました。
ありがとうございます。
夜居の僧の告白を山場にもっていこうと
それまでの長い道のりでじわじわと下地作り。
1時間20分と、葵や賢木に比べたらずっと短いのに
内容が濃すぎて体力いりました〜。
本当に緻密に作られた巻ですね。。。
今回の着物はとっておき。
白とごく薄い紫の笹の小紋、とても柔らかい唐織の衣。
控えめで繊細な光沢に一目惚れしてファイト一発キヨブタ購入。
明石の御方が三歳の姫を手放すという苦しみを前に
白い衣ばかりを重ね着て 雪の降り積もる庭の、池の氷を見つめているシーンにあわせて
重ね衿もごく薄い水色と白に桜の地紋の二重かさね。
帯揚げは水色から薄紫へのぼかしで着物と揃いの唐織。
帯は京都作家さんの染めで こちらは藤壺の薄雲のイメージ。
黄色と渋い紫(法事色?)これもぼかしです。
荼毘にふされた藤壺が、夕暮れの黄金の光に映える鈍色の雲に重なるという
仏様の来迎のような神々しいイメージに。。。なんちゃって。
でもそういう気分にまとわれるのは大事だわっ と。
写真ではよくわかんないですね。
ご容赦下さい。
物語の大きな転換期。
源氏の栄華と心の闇。
鈍色の輝き といったところでしょうか。
2012年04月10日
天地人を自省で糾う 夕映えの紫雲「薄雲」
深草の 野辺の桜し心あらば 今年ばかりは墨染めに咲け (古今集)
昨年の桜は本当にこの歌の心のようでした。
この土日に 源氏物語の『薄雲』の巻を語ります。
物語と平行して、平安時代の天変地異と現在が重なってみえます。
物語は重要な門をくぐります。
占いで帝の后となり国母になろうという明石の姫を引取り
紫の上が養母となりました。
明石御方の嘆きは察するに余りあります。
身分の低さを嘆く御方はその心とは裏に
誰の目から見ても高貴で優れた人柄なのが美しい皮肉です。
その年は天変がしきりにおこり
太政大臣が亡くなったのに続いて源氏の心の妻 藤壺の宮が崩御。
源氏の嘆きの淵は桜をも墨に染めそうな深さです。
鈍色の雲が夕映えに輝く空は仏の来迎さながらに。
そして
この天変は何を意味するのか
源氏と藤壺の秘密を長年心に籠めてきた夜居の僧都は
天の悟 と冷泉帝にその不義の出生を告白します。
実の父が臣下として自分に仕えているという異常さに
十四歳の帝の懊悩は譲位へと傾いてゆきます。
もちろん源氏はこれを固辞しますが
ここから言葉に出すことのない苦悩の親子としての絆が
お互いを結びつけて物語は続いていきます。
源氏はまた冷泉帝に入内させた養女 前斎宮に
その母六条御息所へのくすぶる思いを恋情として表し
前斎宮を困らせます。
(ほんとにこまったものですがこれには訳があるのです。)
源氏は栄華への上り坂に居ます。
けれどもそこにどれだけの罪と犠牲があることか。
源氏自身それを知らないわけではありません。
そうしていつもながら仏門に入りたいと心では望むのです。
しかしながらそうはならない実際がなんだかとてもリアルです。
まだまだ「欲」がたくさんあるのです。
人は哀しいですね。
心では思いながらエネルギーは違う方に向いてしまう。
今の世の中もそんなエネルギーの集合体のようにみえます。
それこそは生命力ではあるけれど
その生命力を自分の軸に近づけてゆくことが
生き物として大地に存在を許して貰っているヒトに
要求されていることではないかと思います。
物語の天変地異は 源氏に己を省みさせ
僧都を告白に導きます。
現在の天変地異は科学によって説明され納得されますが
それはヒトの行いと無関係でしょうか。
源氏物語は自身の心に問うというかたちで天地人を糾います。
天地の動きが人の意識を目覚めさせ変化させる
今起こっていることととても似ているような気がします。
源氏物語は もののあっぱれです。
14(土)15(日)
薄雲の巻
明大前 キッド・アイラック・アート・ホール TEL 03ー3322ー5564
午後3時開演 (開場2時30分)
入場料 前売り:2,000円 (当日:2,500円)
2012年03月27日
日々の尊さ
ニーチェの馬 という映画を観た。
吹き荒れ狂う嵐の中 荷馬車を走らせる老人
その長回し。
引きずるような音楽は神経を重く引っ掻くような空気を作る
家に戻り 声も交わさず着替えを手伝う娘をじっとみつめる老人の目は
左目ばかりが深く鋭い。
異様にも見える着替えのシーンで
老人の右手が麻痺しているとわかる。
「食事よ」娘が告げる。
食事とはゆでたジャガイモのみ。手で食べる。
それが終わると会話もなく一日は終わる。
外は嵐。
翌日もやまない嵐に 馬は動こうとしない。
こんな嵐の中 老人は
家に巣くう 木喰い虫 の音がしなくなったと言う。
いやな兆しだ。
近所づきあいもないこの家に
焼酎を分けてくれと男がやってきて
街はもうだめだ と
人々の精神が滅んでしまったことを語る。
娘は嵐の中、家の外にある井戸に水をくみに行く。
バケツに二杯の水で一日を過ごす。
起きて 着替えて 水をくんで ストーブに薪を入れ
朝食は焼酎を少し
夜はジャガイモに塩のみ その繰り返し。
家財 道具も最小限だけれど生きるに足りないものはない。
つましい生活を暮らす親子の井戸を
流れ者の家族が立ち寄って「水だ!」
この土地を捨てて「アメリカ」へ行くという。
中の年長者(父親らしい)が聖書を娘に手渡し去っていく。
一日を終えて娘は辿々しく聖書を声にする。
嵐はやまない
さながら地の底から甦った亡者達が吠えるようだ
馬もこのところ水さえ飲まない。
5日目になると命をつないだ井戸が枯れる。
一旦は荷造りをして 馬を牽いて家をあとにするも
すぐに戻ってくる父と娘
どこへもいかない のだ
そして嵐はふつとやむ
水という命を絶たれて
ランプの火種まで絶える
それでも生きなくてはと
テーブルに向かい合う6日目の親子の姿に
いつも外を見つめていた明かり取りの窓の格子は十字架になって重なる。
黙示録
私にはキリスト教のことはよくわからないけれど
宗教画のようにあちこちに隠された「しるし」のようなものが
キリスト教という宗教を越えて
どこか別の処ではなく 今この世界に起きていることとして
自分に突きつけられる。
普通の映画であれば省略されるだろう日常の行為
日々の生活の中でさえ仕事のために出来るだけ短縮したいその行為を
長い1カットで綴っていく。
繰り返し丁寧に。
人に与えられている究極のもの
それはそれぞれに違うともいえるけれど
それさえ捨てて
等しく与えられているもの
・・・
2012年03月15日
ああぎっくりした
昨日久しぶりに舞の稽古に出ることができた!
ゆったりとした動きの中
身体を駆け巡るここちよい風の緩急。
先生は昨年から腰を痛められたうえでの指導。
でも拝察したところ腰を悪くしている人に見えない。
この間、痛みを利用して、ご自身の身体を改めて観察されたと聞いた。
「いたい!」といっても「いたくない」といっても痛みは同じ。
で、「いたい」の たぬき で 「い い!」 になさったそうな。
そして身体の中の「いい」回路をたどってゆく。
すごい。
身体の使いようによって、痛まずに動くことも出来るとおっしゃる。
ふううん、
頭では理解できた。
踊りの時のからだの使い方だ。
はすかいのエネルギーの流れ。綾だ。
でもぎっくり状態でそれができるものなのか。
そういえばこのところ腰痛がない
以前はずっと悩まされてきたのに。とふと思う。
腰痛がなくなったのは、ある人の衝撃的な言葉のせい、というか、おかげだった。
それはまた機会があったらかいてみよう。
とにかく今日の一大事は
そんな私を見舞った久々のぎっくり。
やってしもた・・・・・
しかしなんでこのタイミング。
語り会の三日前に骨折したときのことを思い出し
近日に語り会がないことにほっとしたところで
痛みがなくなるわけじゃない。あうあう。いたいよお。
昨日の先生の言葉なんかすっとんで
フランケンみたいに身体がかたまったままぬりかべのように歩いて ふと
あ
身体を面にしないってことよ
と
身体の向きを変えるとき
舞の動きで動いてみたら
なんと
痛くないではないか!
床に落としたものを拾うときにも
息を止めて「くくくく」とまっすぐしゃがむんじゃなくて
息を抜いて意識を下げると腰が自然に落ちる。
座ってるより動いている方がいいぢゃあないか。
おおお。
いいい。
いたいが いいい。
わたしもいっぱしのたぬきだ。
そんでもって
歩くときは狂言みたいに吊り腰だ。
部屋の中で芝居がかっている。
おのおのがた。左右非対称でござる。
しかしなんでこのタイミング
我が身で試してみたかったのかしらん
舞の仲間に笑われそう。
いや いたいのよ、でも
わたしもちょっとこれを機に
身体の「いい」をたどってみよう。
2012年03月13日
母の決断
おちびのころ
母編み物の上手な母はベビー服から自分の着ているスーツまで手編みした。
今朝、今はもう年取った母が股関節の手術を決意したときいた。
もう長く痛みをかかえて 杖をついて近所のマーケットくらいにしか自分の足では行けない母は、家の中では家具の配置に工夫してこれまで頑張ってきたけれど
この春、その効果に確たる保証もない手術に賭けてみようという。
頼っていた父が倒れてから 母は長く煩ったぜんそくもふっとんで
父がある夜浴槽に沈んでいたときも火事場の馬鹿力で乗り切った。
我を忘れると病っ気が居場所をなくすというよい例を見るようだった。
ずいぶん前に一度見送ったその手術を
高齢になった今受けようという気概に
「まだまだうちはこの世に居な あかん・・・」
そういうエネルギーを感じて 娘の私はとても嬉しい。
自分の役割
それを確信している人は強い。
アーティストとしてなにかを作ったり、社会に向けて何か打ち出したり
そんな活動をしていなくとも
母は日々を生きることで自分を表現している。
日々をきちんと暮らすこと
父と二人の生活を心地よく、こころうつくしく生きている姿を
誇らしく思う。
実家に帰ると 家庭菜園で丹精した野菜が 一番のご馳走。
今年のは不出来だと言われてもおいしいと思う。
味覚の判断以上のうれしさが湧いてくる。
逢えなかった日々を戴いているようなきもちになるからか。
兄夫婦はいつでも両親を迎える準備をしてくれているけれど
それを喜んだ上で
出来るところまで自分の力で父と生きていこうとしている母に
娘はエールを送るのだっ。
ふれふれ みっちゃん。
2012年03月11日
百關謳カの煙にまかれて
内田百閧ィ伽噺集の朗読会が終わりました。
飛び込みのお客様も多く、予想外?に満員御礼!!ありがとうございます。
百間先生のこの短い(短すぎる)お伽噺の数々、
物語に当たり前になっている起承転結はどこへやら
目隠しされて手を引かれてそこの辻を曲がったところで
ほい と一人にされてしまうような感覚を
さあどう読んだものか。
黙読している楽しさと、それを表現するのとではまったくちがうのね〜と
今さらながら思い知りました。
長い物語を読むよりもある意味むずかしかったのでした。
選曲したショスタコーヴィチやストラヴィンスキーの
近代の香りは、百間先生の諧謔の物語世界になんだかぴったり寄り添って。
日本人の窓がヨーロッパに向けて開かれていたこの時代
物語の登場人物の行動には動機があって、そして言動し、
それが結果へと導かれてゆく。
でも起承転結という構築をまったく無視して
ぽおんと放り投げられてしまう感じはまるで
源氏物語の終幕と同じ気分。
え・・・それで 終わっちゃうわけ・・・?
とそこから読者の思索の旅が始まる。
完璧、完全を好まず、わざわざどこか欠けた状態をつくり
これをよしとする日本独特の美意識がここに見え隠れ。
最近みんな忙しくてね、ぱぱっと解って、決着ついたほうが
てっとりばやく了解できてわだかまりもなくって
すぐ次にモードチェンジできちゃったりしていいんだけれども、
時々ね、
こういう時間に身を置いて、ぽかんとしてしちゃって
刻んだ時間を追いかけるような不思議なタイムラグを
味わいたいなあと 思うわけです。
今日は懐かしい人がたくさん来て下さいました
ありがとうございます。
それから
しおみさきえさんのクッキーつき!なんてブログで書いておきながら
しおみさんのご都合がつかず、嘘つきになってしまったこと
この場を借りてお詫びいたします!!ごめんなさい。
半襟で遊びました。。。
2012年03月06日
はりきって、皆さんの関節外します。
内田百陂N読会の音楽を選んでいます。
百關謳カは音楽好きでおられたそうな。
中でもソナタ形式の音楽をお好みたっだとか。
物語はみんなとても短くてその余韻を楽しんでいただくために
物語と物語の間に短い音楽を、と思っています。
本当は生演奏だったら良いんですけれどね。
さあ、気分は昇り龍 なんつって
はりきって、皆さんの関節外します。
これはフロリダだかの空に現れた龍ですと。
ここまで龍だともう龍だよね〜日本語やりなおさにゃ。
今回はしおみさんのクッキーがありますよ、とお知らせしたのですが
御用が出来てどうしても都合がつかず、今回は見送りとなりました。
クッキーで釣られた方、ごめんなさいね。
でもマレットさんのメニューはおいしくってファンがたくさんいらっしゃるとか、
楽しみにして下さい。
2012年03月05日
かさねの初日と岩波映画
三月三日、新たに五十四帖がスタートしました。
源氏物語のかさね にちなんで、数が重なるお節句に始めました。
美しいチラシ効果であっという間にお席が完売という嬉しいプレッシャー、
晴れ女としては晴天ぽかぽか陽気を祈願、
お陰様でよいスタートとなりました。
個人的には課題がたくさん。
桐壺の巻の語りは難しいなあと改めて感じました。
前半は桐壺更衣の死別、その悲しみが重々しく
光る君元服で空気は変わるものの、儀式の様子が綴られる場面は
聞いたこともない宮中の言葉が続いてちと難解?
さすがにこれからの壮大な物語の発端とあって
物語中にいろいろ説明しなきゃいけないことも多いのですね。
でも何度読んでも、御局は桐壺なり までの表現は
言葉をかさねてかさねて、おぼろげにその美しい人を浮き立たせ、
その後更衣を霧の中にフェードアウトさせてしまうのに呼応した表現だなあと思います。
霞の中に立ち現れて 霧の中に消えてゆく
これはそのまま源氏の君のもつ母のイメージとなるのでしょう。
藤壺の宮様に浮かんでは消えるこの母のイメージ
そのまま紫の上にもかさねらるのですね。
年に三回の公演だと二十年もかかってしまうので
ちょっとまきでいかねばなりません。
乗ってきたらもっと増やしていくのと同時に
皆さんと共に健康で元気にまいりましょう!と耳の日のうち入りでした。
次回はやはりかさねで七月七日、七夕です。
源氏物語ではままならない逢瀬に七夕がかさねられることも多いですね。
さて、スタッフの方がご用意して下さったお昼ご飯!!
たまごの衣装を着たおむすびおひなさま!
こんなすてきな遊び心のおもてなしに感激。
そしてもう長いことあっていなかった方に再会、
かわいいブーケをいただきました。
ほっとする間も無く内田百閨@ですが
日曜日は岩波ホールに映画を観に行きました。
オタール・イオセルアーニ監督の「汽車は再び故郷へ」。
主人公の子供の頃から始まるのですが
グルジアの片田舎、物に溢れる消費経済とは無縁の時代と土地
その美しさと子供の可愛いたくましさに一気に引き込まれました。
長じて映画監督になった主人公は波乱の末パリに移りますが
アイロニカルな表現は世の中に全くなじまず故郷に戻ります。
しかしついにはどこにも理解の場をなくして・・・さあどうする?というところで
突然現実の世界からいなくなってしまうのです。
ありゃ・・・
あちらとこちらの世界に境なく行き来できるのは好きだけど
これはちょっと・・・と思いました。
とっても期待して行ったので残念でした。
もっと深い見方があるのかもしれませんが
世の中から理解されないことを続けていくって本当に大変なこと。
しかも信念を持ち続けて気高くあることは尚一層。
消費経済やら流行やらと無縁なところで活動している人はでもたくさんいて、
3.11以降の人々の不安を紛らわせるために一層囃し立てるメディアの見せる夢から遠く
こつこつと骨身を叩いて本心を打ち出していく音が
あちらからこちらから 響き始めている昨今。
生きるという字と生むという字が同じなのも
子供を産まなくても、物を作り出さなくても
生きていること自体がなにかを生んでいるからだと思えます。
その人の在りようそのものがもう表現で、関わるすべての人がその表現を受け取るのです。
私の周りにはそんなすてきなひとたちが
たくさんいてくれます。
2012年03月01日
雪の如月つごもりそして弥生
寒の戻った京都から戻りました。
京都国語の会で学校の先生方に語りを聴いていただいたのは
中井和子先生の生前のお住まいのすぐ近くにある古い校舎でした。
翌日 神戸風月堂での連続語り会がもう六帖の「末摘花」。
今回は風月堂の社長さんとお話ししました。緊張したのでした。
そのわけはまた改めてかくことにして。
京都では能の扇司十松屋さんにいきなりお邪魔して
またまたご主人に扇のとても興味深いお話しを伺い、
絶品の鯖寿司を賞味してとろけ、
和紙の巻紙など買って来てしまった。
手習いするのだ!
東京に戻ってひといきくつ間もなく今度は「梅枝」
京都神戸の源氏の君十八歳からいきなり三十九歳。
登場人物全員の位も変わって状況も一変。私もモードチェンジです。
朝起きてみたら まだほの暗い時刻なのに外が明るい・・・
雪!!?がーん。でもなんてきれい。
電車も遅れていましたがそんなに遅れずたどり着いた椿山荘。
浄土のような美しさ。
大きな窓から見下ろす庭の木々に白い花が咲いたよう。
雪をかづいた赤い椿の美しいこと。
風が強いので雪が輪舞を見せてくれました。
会場では源氏の君が自ら調合し薫らせたという香を
麻布 香雅堂のご主人山田さんが延喜式に基づいて再現されました。
そして!
ご存じムスクの原料、ジャコウジカから切り取った(イタタタ)
香りを分泌する部分が毛皮付きでそのまま瓶に入っていて、
これは香りを聞くというよりくんくんしたという感じでしたけど
かなり強烈な、でも もういちど と癖になるようななんともいえない香り体験。
これが香として調合され人の体臭に混ざって
えもいわれぬ魅力的な香りになるのですね。
会場は高貴な香りで充ち満ちて
外は雪化粧、この世とは思えないような空間に
くらくらっとなりながら梅枝を語りました。
雪にもかかわらずお着物をお召しのお客様も多く
あでやかな会となりました。
そして今日から弥生
明るく晴れ渡って 雪が溶けて屋根からぽちぽちぽちぽち落ちる音と
春を喜んでるような小鳥の声が綾になって聞こえます。
明後日三日は亀有での五十四帖連続語り会のスタート。
女君のお節句でおまけに耳の日
源氏物語を聞くにはうってつけではありましぇんか。
どんな着物にしようかしらん。
2012年02月20日
王様の背中
昨年からの計画
源氏物語以外の作品の朗読企画が動き出しました。
3月10日(土) 小田急線経堂駅そばのカフェ
『マレット』で、小さな朗読会です。
『王様の背中』文学界の奇行子 内田百關謳カのお伽噺集です。
タイトルのルビは「わうさまのせなか」だもんね
昭和4年に「コドモノクニ」で発表されたらしいんですが
当時子供にこれを読ませたとはシブイですな。
お伽噺といえ百關謳カならではの妙ちくりんなその世界は
大人が読んでも狸に鼻をくすぐられるようにけむにまかれて
「・・・いいの?これで」とつぶやきたくなるのです。
版画家の谷中安規さんとのコラボレーションで出された当時の本は
本当に素敵です。
お伽噺なんだけれどどっちかというとブラックな印象のこの本、でも
百關謳カと谷中さんの作る世界はぷふっと空気がぬけている。
ちらしもとっても素敵な仕上がり。
チラシ裏からご案内。
『この本のお話しには教訓はなんにも含まれて居りませんから、皆さんは安心して読んでください。どのお話しも、ただ読んだとおりに受け取つて下さればよろしいのです。(以下略)』
これは、このお伽噺集の序文であります。いきなりのナゾナゾめいた言葉は、いかにも百鬼園先生のお言葉と言えませう。
百鬼園こと内田百間先生、漱石門下の中にあつてはその異才振り、奇行の数々がつとに知られるところでございます。飄逸な御人柄と眼力で妙味たつぷりに素描される日常茶飯のあれこれは、先生の有体なる常に似て、どこか浮き世離れした不思議な香りが漂つているのでございます。
このお伽噺の数々も、読み進みますうちにどこかで見聞きしたやうな気になつて「ははあん」と安心してついて参りますと角を曲がつた拍子に帰る途が分からなくなり、先生もふつとどこかへ消えてしまはれるやうな・・・そんなあやしい興趣に満ちみちてをります。一体に百鬼園先生は少々悪戯でいぢわるなお人柄なのでせう。
それなら、百鬼園先生のお伽世界にとつぷりと浸り、ひととき骨抜きにしていただかうではありませんか。
3月10日(土) 午後4時開演 (三時半開場)
お代は にせんごひゃくえん
御予約いります。カフェマレットに。
03−3427−7171
11時から23時(3/7はのぞく)にお電話でお願い致します。
源氏物語とはひと味違う世界です
是非運び下さい。
http://kyo-kotoba.sakura.ne.jp/12-3-4.html
松風の巻が終わって
寒い中、沢山の方にご来場いただきました。
ありがとうございます。
はああ、ほっとしています。
が、ほほほっとしている間は無く ちょほ。
週末は京都と神戸で語り会。
若紫と末摘花、それぞれ演目が違うので上手に頭を切り換えなくては。
着る着物も違うので大荷物である〜。
夏に企画している京都での語り会の打ち合わせもあって今回はしばらくの滞在。
お家でゆっくりできそうもないかな・・・。
そして3月には新しく亀有で始まる五十四帖連続語り会。
こちらは早くも満席です。
亀有の主催は「座・スーパーマーケット」。
主宰の田村啓子さんはスーパーレディです。
地元パワー炸裂のこの企画、
キッド・アイラック・アート・ホールとはまた違ったテイストでしょう。
第一帖桐壺から始めますので
最初の巻を聞き逃した!と思って下さってる方にはお勧めです。
終わってからは茶話会、
京都のお菓子をご用意下さっていると聞きました。
皆様と京都や源氏物語についておはなし出来る機会があまりないので
こちらも楽しみにしています。
監修として支えて下さる 大修館書店の池澤大臣(おとど)もお見えです。
文化がぶんぶん音を鳴らして歩いているようなこの方の
おもしろいお話しも是非皆さんで引き出して下さい。
京都はさむかろうなあ。。。
寒い京都も格別なのだ。
2012年02月15日
琴(きん)の琴 これが七弦琴の音
明石の御方は琴の名手です。
父入道が教えたようですが、入道も延喜の帝の直伝を弾き伝えて三代目
とあるように、大変高貴な楽器であることがわかります。
明石から都に召還される源氏は この地に残してゆく明石の君に
形見として自身の孤独を慰めた琴の琴を託します。
「この調弦がかわらないうちに会いましょう」
といって三年が過ぎてしまうのですが
再会した二人はこの琴の調べで時の隔てを取り戻します。
琴には高位から 琴の琴、箏の琴、和琴 とありますが、
実は源氏物語が書かれた時代、すでにこの琴の琴の奏法は失われていました。
けれども源氏物語は百年前を想定して書かれているので
源氏の君はこの琴の琴の名手とされているのです。
ちなみにあの鼻の赤い末摘花の姫もこの琴を弾きました。
源氏物語の時代にすでに忘れられた貴風・・・
それはどんな音なのでしょうか。
琴の琴は七弦琴です。
現在の琴のように琴支で調弦するのではなくすべて開放弦。
片方の手で弦をおさえて調べをかえ、もう片方でつま弾く奏法です。
シンプルながらその演奏は大変豊かであったようです。
日本には奈良時代に中国から伝わった琴の琴が国宝として残っています。
中国では近年 琴(きん)の復興がさかんで、奏者も多く存在するようです。
昔聴いた中国の音楽で、この深い音色は何?? それは古箏。
というのが記憶に残っていましたが
聴いてみたらまさにその音でした。
聴いてみて下さい。
その歴史(約10分 中国語なのですが映像なのでなんとなくわかります)
演奏は中国の曲なので、源氏物語での演奏とは若干違うでしょう。
奈良時代に伝わって、日本風の調べや奏法に変化していたでしょうから。
源氏を思いながら、身を嘆きながら 明石は琴を奏でます。
この音色に松風が響き合う というのはかなり凄みがあるなあとも思えます。
寂しい心から弾く琴であっても、弱々しい音ではなく
この琴からかもしだされるのはなにか念に近いものがあるように思います。
届くはずもない源氏の耳に届けとばかりに。
実際、明石の地で二人は琴を弾いていてその響きは源氏に沁みついているはずです。
そして約束の言葉は「この弦の調子が変わらぬうちに。」
都での三年間、この見えない琴の糸は源氏に絡まり
人には聞こえない琴の音が源氏の耳には聞こえていたことでしょう。
明石の君は琴を弾くことで、絡めたその糸をしずかにしずかにたぐり寄せました。
身分違いの身の程を知りながら、育ってゆく姫の行く末を思い
明石の浦に寄せては返す波のように
逢いたい逢いたくないと心の中で繰り返していたことでしょう。
身の程を知る明石君は源氏に決して要求はしません。けれど
初音の巻などみても 物を言わぬ控えた態度の中に
(心ならずもなのか願い通りになのか)人を動かす力を明石は持っています。
それはもう一度一族に栄華をと望んだ信念強い入道ゆずりの
彼女の潜在能力なのかもしれません。
2012年02月12日
フェニキア文字革命と、源氏物語〜「あちら」と「こちら」の境
一つ前の記事をさっき更新したばかりですが、続いてニュース。
圧倒的な写真と深々とした文章で綴られた写真誌「風の旅人」の
編集長佐伯剛さんが、風の旅人ブログに
『フェニキア文字革命と、源氏物語〜「あちら」と「こちら」の境』
と題して文字と右脳左脳の壮大な時空の旅、
そして最後に源氏物語の活動の紹介をして下さいました。
読み応え ありありです。
kazetabi.weblogs.jp/blog/
雑誌 などとは言えない、一冊一冊が編集長の目で斬新に組まれた写真誌「風の旅人」
休刊になったのはとてもとても残念です。
私も43,44号に、源氏物語を通してみた自分なりのやまとの心を
恐れ多くも書かせていただきました。
左脳で読んで右脳で語る(聴く)
源氏物語に接していて、本当にそう思います。
いろいろと調べ物などしながら読み深めていくときに
理詰めで得心につなげていっては
声に出す時に人ごとになってしまいます。
源氏物語は、女房が自ら語る手法 いわば
「平安時代版家政婦は見た」。。。
(こんなこといったら学者先生方に蹴り飛ばされます)が、
女房の語り口には体温があって
小説の客観的な地の文とは違う距離感なのです。
そやから世の中から見えるスーパースター光る源氏の君やのうて
女の目線から見る源氏の君、そして世の中が聞こえてくるのえ。
ね、こうして途中から京ことばにすると
急に温度が変わるでしょう?
平安時代は文書と言えば漢文。
これはもっぱら男性が記しました。
それは公的文書なので情やら心、念といったものは入る余地がありません。
「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」
と紀貫之は女装までして、いやいや、女を装ってまで
かな文学に身を浸しました。
紀貫之という人はとても心と頭の柔らかい人だったようですね。
貫之の歌 とても好きです。
道真のように、常に「私」がここにいて世の中を見ているのでなく
ふと風にもっていかれる心を追いかけてゆくような。
あはれ が色や香をもって感じられるような感覚。。。
もののあはれ 源流への旅
これが、京ことば源氏物語の私のテーマです。
風の旅人は創刊の頃から知っていて
自身が京ことば源氏物語を始めるときに
風の旅人のコンセプトと近いものがあるなあと思っていましたが
あまりのスケールの違いに、毎回案内を出そうと思いながら気後れしていたら
あちらから、チラシを見つけて「もののあはれ源流への旅」に響いて聴きに来て下さったというびっくりなご縁でした。
源流ってじゃあ一体?
多方面にどんどん広がりを見せる源氏物語、でも時に
『京都』という風土から離れてストーリーが一人歩きしていくことがあるのです。
源氏物語のなかには現代の私たちには理解しにくいところが多々ありますが
理詰めで考えるとわからないことも
京都の感覚でとらえると自然に受け止められることが多く、
あの長たらしい文章が、文法上正しく整理してしまうとよくわかるけれども香を失うように、
思いついては言葉を足し連ねてゆく京都の言語感覚で読んでいくと
不思議なほどにするすると入ってくるのです。
そして言葉はその土地の風土が育んだ叡智です。
その気候風土、その時代を生き抜くために織り出されるもの。
そこには情報の伝達よりも重視されたやりとりがありました。
それが気配、推量だと思うのです。
それは体温を持った言葉を通してしか伝わり得ないのです。
だから目で読むより ものがたりとして聴くほうがしっくり〜とくるのです。
中井和子先生は学者でありながら
大胆に源氏物語を京ことばに訳されました。
でもそれは千年前の京ことばを百年前の京ことばにしただけのこと。
どうして公家言葉にしないの?と問われることがありますが
それでは現代文にする意味がなくなってしまうし
何より失われゆく京ことばを後の世に語り継ぐことも
先生の目的であったので、中京(なかぎょう)の町衆の言葉で訳されているのです。
国文学者 そして同時に 生粋の京の風流人だった中井先生。
源氏物語をうぶすなの京都に帰してあげたいような心持ち
そんなお気持ちが感じられます。
あからさまな表現を避け
おぼろげなことばがかさねられてゆくことでだんだんとかもしだされる源氏物語の世界。
理解しようなんて思わずに
その世界に浸ってみて下さいませ。。。
孤独に寄り添う松風の響
日々のあれこれを書こうと思いながら時ばかり経って
間近に迫った語り会
源氏物語第十八帖「松風」の巻
変らじと 契りしことを 頼みにて
松のひびきに 音をそへしかな
明石の君は源氏との契りの証しである女御子を明石の地で独り生み育て
三年の月日が過ぎました。
その間の明石君の心はいかなものであったでしょうか。
権勢家としての源氏の勢いはいや増し
女の子が生まれたらそれは国母となるだろうという予言の姫君が
明石に暮らしていることが源氏には気がかりでなりません。
源氏からの再三の催促で、明石君はまずは嵯峨の大堰川のほとりにある
邸に母君とともに移り住みますが、父明石入道は明石の地に独り残ります。
親の願いの成就と引き替えに、夫婦、親子(孫)の別れです。
自邸二条の院には紫の上。
上を憚って、なんとか言い訳をして大堰に向かい
三年の隔てを一夜にとりもどそうとする源氏。
あの夜のことが、自然と思い出されるその折をすぐさんと、
形見の琴の御琴をさし出すのどした。
そこはかとのう、物がしみじみ思われますので、
ようお泳えになれえで、掻きならしやす。 (松風の巻より)
明石君が心つないでいたものは
明石での別れの折 源氏が残していった 琴(きん)の琴。
三年の月日、源氏を待って、彼女は何度この琴をつま弾いたでしょうか。
源氏不在の明石の地で
気高い心も折れそうになるほどの心許なさ
そんな中
風雪に耐える松林から吹いてくる風が寄り添って共に忍び泣くのを
明石君はきいてきました。
その松風が
父を残した明石と同様大堰の住まいでも
孤高の琴の響きに唱和します。
心と自然とが見事な調和を見せる美しい巻。
そして源氏は紫上と明石御方との間で
小さな姫をどう処遇するのか
それは 明石御方にとって身を切られるよりも辛い選択を迫られるものになるのです。
自在タイムカプセル キッド・アイラック・アート・ホール
今回会場は風吹き抜ける松林。
真っ暗な空間に
松風の響きが聞こえますように。
18(土)、19(日) 3時開演です。
詳細は以下に、あらすじもこちらにあります。
http://kyo-kotoba.sakura.ne.jp/kid.html
ホールへのアクセス
ホールの椅子も一新、心地よくお聴きいただけます。
お誘い合わせの上どうぞお運び下さいませ。
2012年01月12日
八幡様
お正月ムードはもうすっかり過ぎてしまいましたが
昨年引っ越しをしたので地主神社にご挨拶。
松の内には間に合いました。
地主神社というと京都清水が思い出され
中世の歌にも縁結びの神様として歌われていますが
ここは東京。地元の神様ということで勝手にそう言っています。
今は大きな交差点に面していますが昔はこの辺り一帯
うっそうとした森だったのだろうと思います。
かつての参道だったろうことろには建物が建っていて
今は本鳥居しかありませんが
昔からこの辺りにすむ人々を見守って
人の心のよりどころになっていたのだろうなと
いにしえの人々の沢山の願いが木立に添って昇っていった跡を追ってみると
やわらかい色の空に吸い込まれそうでした。
お天気続きの一月ですね。
紫のショールは あこがれの 吉岡幸雄先生の染。。。
昨年暮れに展示会がありうかがいました。
襲の色目240色を和紙で見せて下さいましたが圧巻。。。でした。
化学染料を使わない、本当の色 そのかさね。
こういうものに包まれるだけで 心は変化します。
このショールの紫はコチニールだそうです。
やわらかくて暖かくて安心で元気な、そしてありがとうの気持ちになる・・・
おかいこさんと植物や貝やらの命をいただいているんですものね。
昨年神戸風月堂さんでの夕顔の巻の折には
先生のご厚意で「夕顔の襲」を背景に語らせていただきました。
嬉しくてドキドキしました。
風月堂さんでは吉岡先生の講演を定期的になさっています。
そして先生は故中井和子先生ともご懇意で
中井先生との対談の企画が叶わなかったことが残念だったと
中井先生をご一緒に思う時間となりました。
天から「しっかり語っとくれやっしゃ」 と聞こえてきそう。
吉岡先生はNHKの講座で2月末まで講師をなさっています。
是非染めの世界を堪能なさって下さい。
2012年01月10日
新しい年に
新しい年を迎えました。
皆様に寒中お見舞い申し上げます。

源氏物語 若紫の巻から
まだ伏籠の中にいる雀の子をのぞき込んでいる若紫の姫のイメージです。
昨年は日本にとって試練の年となりました。
けれど本当に越えてゆかねばならないのはこれからの 時でしょう。
一時 一時を かみしめて
二度とはもらえない命を共に生きましょう
毎年恒例の除夜の鐘を静かに突いて
思えばいまここにいることの奇跡のような瞬間に
感謝しないではいられませんでした。
そこから百万遍を抜けて下鴨神社に至る道中は
昨年の雪道と違い暖かいものでした。
雪のましろの 美しすぎた昨年の幕開け
ようやく春と言うときに私たちは大きく揺さぶられ
心地よさばかり求めていたことを反省しました。
今年の幕開けはこれといった特徴はなかったけれど
両親と兄の家族と元気に迎えられたことが何よりの幸せでした。
三日には鞍馬山に登りました。
おみくじを引いて 吉。
てくてく歩いて貴船に抜けて
北野天満宮にお参りしました。
おみくじは 大吉。
わーい とは 思えませんでした。そして
おみくじには つつしみを深く という言葉がありました。
つつしみ という言葉をあらためて思い
自分からでる言葉、態度、すべてが
自分の中をそのまま表しているのだと
表層に終わらない自分を心がけたいと思いました。
女房語りでは、キッド・アイラック・アート・ホールだけでなく
神戸風月堂さん、都内の図書館、そして今年新たに
葛飾区での五十四帖語りがスタートします。
じっくり取り組みたいと思います、
うぶすなの 京都のことばを後に残すのに
源氏物語ほど相応しいものはないのではないかとの思いは
年々強くなっていきます。
今年も心こめて
お聴き下さる方々の心に届くよう
大事に語っていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
そしてこんな大変な時期ではありますが
皆様のお心に消えない光が宿り続けますように。
皆様に寒中お見舞い申し上げます。
源氏物語 若紫の巻から
まだ伏籠の中にいる雀の子をのぞき込んでいる若紫の姫のイメージです。
昨年は日本にとって試練の年となりました。
けれど本当に越えてゆかねばならないのはこれからの 時でしょう。
一時 一時を かみしめて
二度とはもらえない命を共に生きましょう
毎年恒例の除夜の鐘を静かに突いて
思えばいまここにいることの奇跡のような瞬間に
感謝しないではいられませんでした。
そこから百万遍を抜けて下鴨神社に至る道中は
昨年の雪道と違い暖かいものでした。
雪のましろの 美しすぎた昨年の幕開け
ようやく春と言うときに私たちは大きく揺さぶられ
心地よさばかり求めていたことを反省しました。
今年の幕開けはこれといった特徴はなかったけれど
両親と兄の家族と元気に迎えられたことが何よりの幸せでした。
三日には鞍馬山に登りました。
おみくじを引いて 吉。
てくてく歩いて貴船に抜けて
北野天満宮にお参りしました。
おみくじは 大吉。
わーい とは 思えませんでした。そして
おみくじには つつしみを深く という言葉がありました。
つつしみ という言葉をあらためて思い
自分からでる言葉、態度、すべてが
自分の中をそのまま表しているのだと
表層に終わらない自分を心がけたいと思いました。
女房語りでは、キッド・アイラック・アート・ホールだけでなく
神戸風月堂さん、都内の図書館、そして今年新たに
葛飾区での五十四帖語りがスタートします。
じっくり取り組みたいと思います、
うぶすなの 京都のことばを後に残すのに
源氏物語ほど相応しいものはないのではないかとの思いは
年々強くなっていきます。
今年も心こめて
お聴き下さる方々の心に届くよう
大事に語っていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
そしてこんな大変な時期ではありますが
皆様のお心に消えない光が宿り続けますように。
2011年12月12日
光と蔭
12/10 入間市仏子にあるアトリエ空間「アミーゴ」で「夕顔」を語りました。
市の施設ながら、運営は創造力あふれるヤル気満々の入間市民の方々が
何から何までいきいきとこなしていらっしゃる!
大正時代 繊維工業試験場だった建物は
かの昔 糸を紡いだ人達の声が、何処かにこだましているような気がする風情。
目の前に急に明るい光がさして戸惑う夕顔。
その顔は光に輝いて、不安に揺れる心は光る源氏の君に蔓をのばします。
満ちた月を隠す雲
もののけが近づいているとも知らずに。
昔みた映画 「髪結いの亭主」
愛し合う絶頂期に自ら命を絶ってしまうヒロインの気持ちが
若い頃はよくわからなかったけれど
夕顔の死を語っていると、傍目には儚く悲しくても
夕顔本人は一番幸せなのかもしれないと思えます。
愛の証として二条院に引き取られたところで
その後夕顔を待ち受ける苦悩は紫上をみても明らか。
光とは なんでしょう
光る君 とは。
アミーゴから戻って その夜は皆既月食でした。
初めて見る本当の月の姿。
日食は太陽を月が横切るのだからからホントに隠されるのだけど
月食は月が地球の蔭にはいるのだから隠れてしまうわけじゃない。
望遠鏡がないので双眼鏡、それでもよく見えました。
蔭が六割以上になると、月の丸さが見えてきた・・・!
すっかり陰に入った月は肉眼で まったくもって見入ってしまいました。
今まで月は平面でした。盆のような月でした。
蔭を伴っていても、切り取ったような二十三夜の月でした。
でも光を反射しない、橙色に蔭のさすホントの月は
真っ暗な宇宙に浮かんでいる、まさに 玉。珠 球 魂 霊 たまっ 。
そして とても小さいのです。 ぽっちんと うかんでる。
私の蔭も あの珠にとどいてる。
あれが 月だったんだ
不思議でした。
本当の姿が不思議な気がするのは妙ですが
私たち普段、ものの本当のありさまを、案外みていないんですね。
光る源氏の君も、栄華の頂点六条院で
だんだんとその光を失ってゆきます。
その前に、17,18日はキッド・アイラック・アート・ホールの「絵合せ」の巻。
皆既月食の条件としてはまず満月で ゆうるりと東の山の端から昇って来る。。。
この御前絵合せの光る源氏の君は まさにこれから昇りはじめる月のように
大きく妖しく輝く 満ちた月。
大正時代の建物の、空気の質感を体験したせいかしら
夕顔と 月の光とその本当の姿 そして絵合せの巻が
光の蔭で手を繋いでいるような気がします。
光をもって人を魅了する者はまた闇をも知っているのです。
源氏の出家願望の その心が
この巻の最後の焦点。
ゆれる光の「絵合せ」 楽しみになさって下さいね。
http://kyo-kotoba.sakura.ne.jp/kid.html
http://kyo-kotoba.sakura.ne.jp/index.shtm
2011年12月08日
「絵合せ」の巻に
すっかり寒くなって今日は雨。
書きたいことが沢山たまっていますが今日はご案内。
17,18日の土日はキッド・アイラック・アート・ホールでの連続語り会
第15回、第十七帖「絵合せ」の巻です。
都に返り咲いた光源氏は、以前の恋多き男から
揺らぐ思いを抑えて意識は権力に向いてゆきます。
高貴の女人 故六条御息所の娘を養女にして
幼い帝(実は我が子)に入内させるのです。(手の込んだことです)
絵の好きな帝の心は、年上ながら絵を描くのが得意なこの宮に傾いていきます。
黙っちゃおれない権中納言(=若く源氏と張り合ったあの頭中将)。
絵の名人に今様の絵を描かせては 先に入内した娘 弘徽殿女御にせっせと贈ります。
とうとう藤壺の宮を前に絵合わせ合戦が始まります。
物知り女房達が鬼の首とったようにぎゃおぎゃお。
それでも勝敗つかず、源氏は帝の御前で再勝負をかけます。
そこで源氏が取りい出しましたるは・・・
(チョキではありまへぬ)
*****
先の斎宮は入内して梅壺をいただきますが
この入内から始まる「絵合せ」の巻、
朱雀院の、前斎宮へのやるせない思いが通奏低音。
源氏に打ち負かされているのは権中納言だけではなく
気の弱い朱雀院も辛い思いをしているのです。
でも朱雀院は自分の意向ではなかったにせよ、源氏を須磨退居へと追いやった人物。
その負い目もあります。
この巻は女君の心模様そっちのけで
男はん達の内心のぐるぐるが描かれています。
今回は1時間以内で短いので、原文も京の音調で少しお聴き頂こうと思います。
明後日は入間市の アミーゴ!で初めての語り会「夕顔」ですが
こちらはもう満席。
連続語り会のほうはまだ御席があります。
日曜日の方がゆったりしているようです。
今年の締めくくりに 王朝の雅な戦いは如何でしょう。
詳細は
http://kyo-kotoba.sakura.ne.jp/kid.html (ご案内)
http://kyo-kotoba.sakura.ne.jp/eawase.html (ちらし)
です。18日は自由参加の打ち上げもあります。
お誘い合わせの上どうぞお運び下さいませ。
2011年11月29日
弦楽器の祭典
東京に戻って11月4,5,6日のお仕事は 弦楽器フェアでした。
国内外の弦楽器が科学技術館に集まるのです。
職人さんの手仕事の楽器が科学技術館というのが面白いですね。
不似合いというのでなく、職人さんの微妙な手仕事はコンピュータで解析しても
絶対に再現できないことだろうと思うからです。
ヴァイオリンひとつとっても、材料になる木の育った環境や
季節やら工房の状態やら、それに合わせて職人さんがひとつひとつ作っていかれるものでしょう。
それはさておき
このフェアに出展された数々の楽器が、コンサートホールでどのように響くのか
世界を舞台に活躍しておられる演奏家の方々に
次々に弾いてもらう!というすごい試演奏会が同時に地下のホールで行われていて
私はその進行を、もう十年以上になりますか、務めているのです。
司会の仕事は本業ではないのでまったくへなちょこですが
舞台裾で演奏を聴くなんて、あまりない体験に酔いしれて・・・・
酔いしれてる場合じゃないんですこれが。
一回につき50分ほどのコンサート、
5〜7台ほどの楽器を次々に演奏する奏者は勿論大変ですが
舞台に出ては制作者と演奏曲目を間違えないように進行していき
思わぬアクシデントにも対応しなければなりません。
なれないことなので緊張の連続です。
これだけ毎年やってたら慣れても良いところですが毎年新鮮です!
このコンサートが一日4〜5回 6回なんて時もあったかもしれませんが
今年はヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ギター、で
リュートやマンドリンの試演奏は無かったので少し楽でした。
舞台裾の打ち合わせ風景 仕事してるカンジでしょ!
ヴァイオリンではあの 川畠成道さんが
1日2回の試演奏会を3日連続で務められたので
合計すると40台以上も初めて手にする楽器を演奏されたかと思います。
普通は自分の楽器をメンテにメンテをかさねて弾くものなのに
これは大変なことだと思います。
でも涼しい顔で素晴らしい演奏を連日聴かせて頂きました。
舞台裾では思わず仕事を忘れそうな瞬間も。
ヴィオラなどは楽器の個体差が大きくて、6センチほども違ったりするのだとか。
今日初めてであった楽器の個性を引き出して演奏するって
すごいことだと思います。
そしてその凄さは進行の私にも影響、
誰の楽器で何を弾くか、ほぼ直前に決まるのです。ひえええ。(そういう凄さね)
源氏物語とはまた違った緊張感で3日間を過ごしました。
制作家の方と
そしてまた京都へ。
つづきはまた書きまあす。
2011年11月14日
蕪村 京ことばにのせて
キッド・アイラック・アート・ホールでの「蓬生」「関屋」が終わり
余韻を味わう間も無く丹後与謝野町へ。
国民文化祭京都。丹後では与謝蕪村顕彰俳句大会があり、
そのゲストとしてお招きいただいて
蕪村の俳句を京都音調で読みました。
涉成園の時支えて下さったスタッフの方々が今回も
スンバラシイ舞台を作って下さいました。
しかも京都の高校生時代、始めて芝居の手ほどきをして下さった
菊川徳之助先生が舞台上でのナレーションを引き受けて下さって、
ン十年ぶりに同じ舞台に立たせていただいたのでした!
このお話をいただいてから、どのように俳句を声に出して表現したものか、
試行錯誤してきましたが、音楽、映像、照明が一体となった舞台で
なんとかかたちにすることが出来ました。
春に霞む遠い家
割った薪から立つ木の香り
家族も遠ざけたくなるような夏の暑さ
陽光にのったりうねる潮の香り
折々の香 大気の湿り 色合い 距離感
出来る限りその場にワープして その空気を吸って 声にしようと試みました。
リハーサル前日に案内していただいた大内峠からみた天橋立は横一文字
蕪村が「せきれいの尾」に例えた気持ちがわかりました。
沢山の句碑がある中、竹で組んだ鳥居の側に碧梧桐の筆を写した碑があって、
この京ことば蕪村を企画された蕪村研究の藤田先生が
『僕はあんまりこの字いいと思わないです」と仰った途端、
鳥居の天の部分が バコッ と下がっちゃったんです。見事に。
「先生、当日雨が降ったら先生のせいですからね」
と天気予報が雨なのを先生のせいにして、
「ヘキゴトーはん、私は個性的な字やと思いますー」とおべっかちゃん。
おまけに私がとちったら先生のせいね。とかいってちゃっかり緊張をほぐしたりなんかして。
本番の出来は客観視できませんが、その世界にふっと入って行けたように思います。
一緒に企画を練ってきた与謝野の方々も大変喜んで下さって、やっと肩の荷が下りました。
一年間私の上司だった「まゆまろ」(上司なのに呼び捨て)と写真を撮ったり、
ご当地野田川に兄嫁さんの実家があるのでなかなか会えない皆さんと会えたり、
嬉しいことがありました。
上司と藤田先生
支えて下さった皆様に感謝です。。。
2011年10月19日
再会の物語
キッド・アイラック・アート・ホールでの連続語り会が間近です。
今回は二帖連続で 「蓬生」と「関屋」の巻を語ります。
関屋が短いのでくっつけただけではなく
この二つの物語りは 京に返り咲いた源氏と再会する
二人の女の物語なのです。
源氏物語の個性派女君の筆頭 といえば 末摘花ですが
私はこの人がとても好きです。
末摘花の巻ではほとんど笑いものだったこの姫君。
そやけど今回の巻ではちょっとちがいますのえ。
そして帚木の女といわれた空蝉の君。
源氏を拒み続けながらその女心は震えるばかりに源氏を慕って
そして十二年の年月の後 再会。
思いがけず源氏の熱い志を知ります。
(不完全燃焼やったというか男はんの意地というか、ほんまに根気のええことで)
思わぬかたちで永遠に源氏を遠ざけることになる空蝉。
この時代は女はほんとうに生きにくい時代だったのです。
空蝉の巻を語るときにはどうも感情移入してしまいました。
当時語った女房もお姫様ではないので
空蝉のこころに自分をかさねることは容易だったと思います。
あっという間に私たちの時は過ぎますが
物語の時間もどんどん過ぎていきます
源氏は中将から大将に、そしてこの巻では
権大納言から内大臣にまで昇進。
自信と共に光はいやましに増していきますが・・・。
源氏物語は物語を通して
人のこころのありよう、その変化を丁寧にみてゆくことで
大切なことを気づかせてくれるように思います。
間近に迫った22日(土) 23日(日)
明大前キッド・アイラック・アート・ホールで
3時開演です。是非お誘い合わせの上お運び下さいませ!
http://kyo-kotoba.sakura.ne.jp/kid.html
詳細はこちらでご覧下さい。
2011年10月12日
秋の ほ 本
更新をサボっているうちに秋になってしまいました。
この二週間は週末に図書館二館での語り会がありました。
杉並区の方南図書館で「桐壺」の巻
文京区の水道端図書館で「紅葉賀」
図書館には本が沢山。
本って魔法の箱。しゃはっと開くと世界が どはあぁぁぁぁん・・・
ぱふっと閉じると残響が よぃぃぃぃぃぃん・・・
閉じてるときはもの言わない。
表紙だけが無言で語りかけてくる。
私はもうない活版印刷が好き。
開いたとたんに、紙に くん と押された弾力がみえてあったかい。
小さいときからよくその紙面をなでてたっけ。
かすかな凸凹が指先にここちよかった。
ブラッドベリの小説に、なでると物語を奏でる本がでてきたけど
そんな気分だった。
今は電子図書が薄い板の中にいくらでもはいるとか。
なるほど見やすく工夫されてるのにはびっくり。
でも私は紙をめくるのが好き。
先日友人と話したんだけれど
昔の岩波文庫の活版書体の小さな文字で読むのと、
現在のを読むのでは、同じ小説でも世界が違うね。と。
旧仮名遣いだったりするともっと違う世界に行ける。
いつも源氏物語のちらしをデザインしてくれる鈴木衛さんは
文字の大きさやフォントはキャラクターだって。
なるほどチラシを見るとよくわかる。
流れる書体で大きく表したタイトルは威厳があって、
印象的な和の香の小見出し文字は静かに主張、
すっきりした古風な書体で物語のあらすじが語られ、
解説やら日程などの情報は明朝体だけど質が違うわきまえを持って。
交通情報やプロフィールはゴシック体、まじめにかちっと伝えます。
そしてそれぞれ文字間隔。行間、太さ、大きさが役割を一目でおしえてくれていて
要所要所の色がぴしっと紙面を引きしめる。
デザインって、いかにもデザインされていませんって顔して
ちゃあんとされてるんだなあ。
本をひらいてもそう、デザインを感じさせないのがデザインの妙。
本そのものがはじめからそうあるみたいな顔してる。
そう すごい仏像が最初からそういうかたちで木の中から出てきたみたいに
人の手があったことを忘れさせてしまう。
えっと 本のことを書こうと思ってたんだ。
良い本がなくなっていく。
『風の旅人』が十月一日発売の44号をもって 休刊、となる。
9年間、広告もなしに「すごい写真」と文章で
他の写真誌の追随を許さなかった本。
雑誌とはいわん いえん ゆうたらいかん。
43号にはじめて拙文を書かせていただいて
44号にも「まほろば」をテーマに書かせていただいた。
もったいないような気持ちだった。
本屋さんの流通って
性別、年齢、職業はじめ細かくジャンルにわけられて
購読者のターゲットをしっかり定めているんだそう。
だから「風の旅人」は本屋さんが置き場を迷う本 だったそうだ。
くつろぐ部屋にあまり個性の強いものよりも
お花や色合いのきれいな差し障りない絵を飾るように
生活の中にあまりにこころ揺さぶる強いものをもちこまないようにするのが
現代的なのか するってーと何かい
するー ってことばは日本語も英語も するーっと抜けるねえ
ひっかかりを求めないのは人間関係も同じ
そんな中、表層的な衝撃でなく
感覚の根源のあたりをぐいぐい突かれるような写真とその構成だった。
あらかじめ的を絞ってつくらない。
これってわたしも目指すところ。
人の心の下、記憶の下を流れる源ってなんだろう
どこに繋がっていくんだろう
この二週間は週末に図書館二館での語り会がありました。
杉並区の方南図書館で「桐壺」の巻
文京区の水道端図書館で「紅葉賀」
図書館には本が沢山。
本って魔法の箱。しゃはっと開くと世界が どはあぁぁぁぁん・・・
ぱふっと閉じると残響が よぃぃぃぃぃぃん・・・
閉じてるときはもの言わない。
表紙だけが無言で語りかけてくる。
私はもうない活版印刷が好き。
開いたとたんに、紙に くん と押された弾力がみえてあったかい。
小さいときからよくその紙面をなでてたっけ。
かすかな凸凹が指先にここちよかった。
ブラッドベリの小説に、なでると物語を奏でる本がでてきたけど
そんな気分だった。
今は電子図書が薄い板の中にいくらでもはいるとか。
なるほど見やすく工夫されてるのにはびっくり。
でも私は紙をめくるのが好き。
先日友人と話したんだけれど
昔の岩波文庫の活版書体の小さな文字で読むのと、
現在のを読むのでは、同じ小説でも世界が違うね。と。
旧仮名遣いだったりするともっと違う世界に行ける。
いつも源氏物語のちらしをデザインしてくれる鈴木衛さんは
文字の大きさやフォントはキャラクターだって。
なるほどチラシを見るとよくわかる。
流れる書体で大きく表したタイトルは威厳があって、
印象的な和の香の小見出し文字は静かに主張、
すっきりした古風な書体で物語のあらすじが語られ、
解説やら日程などの情報は明朝体だけど質が違うわきまえを持って。
交通情報やプロフィールはゴシック体、まじめにかちっと伝えます。
そしてそれぞれ文字間隔。行間、太さ、大きさが役割を一目でおしえてくれていて
要所要所の色がぴしっと紙面を引きしめる。
デザインって、いかにもデザインされていませんって顔して
ちゃあんとされてるんだなあ。
本をひらいてもそう、デザインを感じさせないのがデザインの妙。
本そのものがはじめからそうあるみたいな顔してる。
そう すごい仏像が最初からそういうかたちで木の中から出てきたみたいに
人の手があったことを忘れさせてしまう。
えっと 本のことを書こうと思ってたんだ。
良い本がなくなっていく。
『風の旅人』が十月一日発売の44号をもって 休刊、となる。
9年間、広告もなしに「すごい写真」と文章で
他の写真誌の追随を許さなかった本。
雑誌とはいわん いえん ゆうたらいかん。
43号にはじめて拙文を書かせていただいて
44号にも「まほろば」をテーマに書かせていただいた。
もったいないような気持ちだった。
本屋さんの流通って
性別、年齢、職業はじめ細かくジャンルにわけられて
購読者のターゲットをしっかり定めているんだそう。
だから「風の旅人」は本屋さんが置き場を迷う本 だったそうだ。
くつろぐ部屋にあまり個性の強いものよりも
お花や色合いのきれいな差し障りない絵を飾るように
生活の中にあまりにこころ揺さぶる強いものをもちこまないようにするのが
現代的なのか するってーと何かい
するー ってことばは日本語も英語も するーっと抜けるねえ
ひっかかりを求めないのは人間関係も同じ
そんな中、表層的な衝撃でなく
感覚の根源のあたりをぐいぐい突かれるような写真とその構成だった。
あらかじめ的を絞ってつくらない。
これってわたしも目指すところ。
人の心の下、記憶の下を流れる源ってなんだろう
どこに繋がっていくんだろう
2011年09月13日
月のうさぎ
これは良寛様からの贈り物。
今夜は月の暦で中秋の名月。
満月がちょうど重なって ふくふくしながら観ています。
お月様にはうさぎがいる
小さい頃 サンタさんの存在よりも確かなことでありました。
我が身を見知らぬ餓えた翁に捧げるウサギの話があります。
古代インドの仏教説話集『ジャータカ物語』に収められた物語。
今昔物語で読まれた方もあるでしょう。
大唐西域記 これは唐僧・玄奘三蔵が中央アジアからインドにかけて求法の旅をした記録。
ここにもこのウサギの物語がみられます。
そしてこの物語に感動した良寛さんは
何度もこの物語を書いては遺しました。
餓えた翁に「私を食べて下さい」と
仲良しの友達猿と狐が熾したたき火に飛び込むうさぎ。
その心に打たれた翁(実は帝釈天だったりインドラ神の化身だったり)は
うさぎの亡骸を月の宮に抱いて連れて行きます。
四つの物語は少しずつ違っていて
ジャータカ物語ではウサギが身を投じたのは
インドラ神が心試しのために創った熱くない火で
うさぎはいのち存えました。
いずれにしてもうさぎのその心映えを忘れないように
その姿が月にうつされるのです。
小さい頃、月ではうさぎがお餅つきをしていると思っていましたが
困っている人の為に我が身をなげうつ心を
吾が鏡として空を見上げて映しましょう
というおはなしだったんですね。
この物語を9/19に
群馬赤城山麓 森の中の素敵な「中ノ沢美術館」で朗読します。
良寛さんのいくつかある『月のうさぎ』の中から
一番わかりやすい林甕雄(みかお)の『良寛禅師歌集』のテキストで。
そうしてもう一つは宮沢賢治の『貝の火』。
溺れたひばりの子を助けるためにいとわずに川に飛び込んだ
同じく勇気ある純粋無垢なこうさぎホモイの物語。
こちらはまた、英雄視された人(兎)格が
次第に驕り猛てゆき破滅してしまう様を描きます。
物語は希望を持って終わりますが
月のうさぎとはまた違う意味で
このことを人間は心にとどめて
日々の行いを省みようね というメッセージ。
こんな物語がすでにあっても
人間は大きな間違いをしでかします。
今この物語は、おごれる心が宝を失わせるということ以上に
重要な事柄を指し示しています。
読むのが怖いくらいの物語
語り会にはいろんな方が来て下さいます。
それぞれに問題意識を抱えながら
ひととき 日常とは違う時空に遊びにいらっしゃる方を前に
自分の主義やら思いをぶつけるのはためらわれます。
けれど 物語それ自体が哮る心をもっていて
それを自分の身体を通して語ることで
来て下さった方々と共有出来る何かがきっとあると信じます。
芸術 という言葉を使うのは好まないけれど
人の心を変えるのは
黒と白に分かれて反目しあう行動ではなく
ましてや政治や経済でもなく
言葉を超えた いのちの欲する処にあるのだと思います。
今夜みんなが見上げるまるい月
どんな明日を映し出しているのでしょう
月天の真言は
おんせんだらや そわか
2011年09月07日
熊野聖地が
以前高野山から青岸渡寺まで中辺路の古道を歩き
産道をくぐり抜けてもう一度生まれるような気持ちになった熊野。
このたびの桁外れの豪雨で何人もの死者が出
那智大社に土砂が流入
文覚の滝には大岩が崩落して瀧そのものが失われてしまうという被害。
ひたすら静かな息づきで
毛並みにそってなでるようによりそってくれた森の気配
行く先あてなく心許ないひとりごころを
気の遠くなるような過去から自分に繋がるいのちの鎖をみせて
懐かしい確信に変えてくれた三千年生きてきたという神代杉
白い龍が次々に惜しげもなく身を投げる那智の滝
地球から続く水脈を通して梢から放射される樹のいのちの営みを
再度生まれる胎内として教えてくれた大樹の洞。
個人的に過ぎる体験とはいえ
自分にとって転機となった大事な数日間を過ごしたかの聖地が
自然の営みによって様変わりしてしまったことに
大きなショックを受けました。
ある方からメールで
「『自然の神は、自ら自然を破壊しているのだ!』という事実に、私は、
憤りすら感じます。」
と頂きました。
熊野は世界遺産にも登録されています。きっと大きな損失でしょう。
でもそんなことがなんでしょうか。
この聖地は自らを壊すまでして私たちにものを問うているのです。
人間がとどめておきたいその姿は人間のエゴです。
日本は昔からおちこちに自然の力によっておおきく揺さぶられてきて
人などひとたまりもない大きな大地や海の動きは
そのまま神の発動なるエネルギーと感じられ
人はその地を畏れ敬い みだりがましいことを慎んできました。
奇しくも昨日鑑賞した文楽では
東北にエールを送る三番叟が上演され
住太夫さんが声に乗せるその最初のことばは
国常立尊による国の興りでした
一体日本のどこからどこまでが守るべき世界遺産で
どこからが敬わずによい土地なのでしょう。
津波にみまわれた東北の地も
あたり一帯聖地だったはず。
少し前までは人はそこに住まわせてもらうこと自体に謹みを持って
振る舞いも慎んでいのちを繋いできたはず
日本の津々浦々 そんな場所ばかりです
今その聖地のそこかしこに 日本経済の電源がある
私たちを慈しんで育ててくれる自然が時に逆巻くように
この電源もふとしたことで荒れ狂ってしまう。
土地の神様が持っていた火の玉を
失敬してしまった私たち
土地の神様はみずからを壊して
私たちの行いを戒めているに違いない
以前は他の動物たちと同じように見えないものをみようとした人間も
今はもう目に見えることしか見ようとしない
それも多少のことでは気づけない。
熊野のように誰もが大事だと思って
『神様、ここに居て下さいねっ』と神殿を建てた場所
そうした実体のあるものを壊さないともう
私たちには気づく力がないんだと言われてしまったように思う
熊野で熾ったこのたびのことと
福島で、東北で起こっていることとは
私には同じことのように思えます。
あんなことがおこっても そしてなんら終息するどころか
知らされないままに深刻になっていっても
見果てぬ夢を捨てられない一部のエゴイストには
この熊野の聖地の有様はどう映っているのでしょう
2011年08月31日
貝の火 予言の書
宮沢賢治の作品「貝の火」はこんなおはなしです
純粋な子うさぎのホモイがある日
川に溺れたひばりの雛を救います。
始めて遭遇するそのうごめくものの命にふれて
無垢なホモイはそれに畏れを感じます。
勇気を奮い立たせたうさぎはその後熱病にかかりますが
それが癒えた頃
ひばりの親子が御礼と共に 王からあずかったという
神秘の宝「貝の火」を持ってやってきます。
「あなたこそ、これを持つに相応しい。」
家族は喜び ホモイを誇りに思います。
貝の火は栃の実くらいの大きさの玉で
のぞいてみると見たこともないような美しさで燃えています。
「お手入れ次第でどんなにでも立派になる」という貝の火。
翌日ホモイが森に行くと
これまで一緒に遊んだ動物たちがホモイを畏れ敬います。
自分を虐めた狐までが手のひらを返したように親しげで
みんながホモイの言うなりです。
ホモイはだんだんと思い上がっていきました。
狐にそそのかされていくつかの過ちを犯してしまい
もう神秘の火は消えてしまったかと思っても
いよいよそれは輝きを増すので不思議に安心し
ホモイも家族もそのことになれっこになっていきます。
そしてついに正体をあらわす狐
ホモイを思うさま操って
助けてやったひばりを始め 森のみんなを恐怖に陥れます。
ホモイは恐ろしくなってうちに帰ると
貝の火の輝きに曇りが見えます。
おとうさんの提案で 一晩油に浸しておくと
翌朝には貝の火はすっかり様変わりしてしまっていました。
おとうさんもこの玉の扱いを知ってはいなかったのでした。
光を失った貝の火。
やっと気づきました。
もともとこれはホモイが一つの小さな命を大切にしたから
ホモイの元にやってきた玉だったのでした。
ホモイは勇気を振り絞って狐に挑みかかり
罠にかかった鳥たちみんなを逃がしてやることに成功します。
みんなはホモイに感謝しますが
もう昨日までのホモイではありません。
貝の火だった玉は今では白いただの石ころです。
おとうさんが「さあ、笑ってやってください」
そういうと
様変わりした石は鋭い音を立てて割れ
けむりのように砕けた粉が ホモイの目に入り
ホモイはもう物を見ることができなくなってしまいました。
大好きなとうさんかあさんのお顔も
美しい緑の森も 朝日も星もせせらぎも。
おとうさんは言います
「それをよくわかったお前は、いちばんさいわいなのだ。
目はきっとまたよくなる。」
朝を告げる鐘が高く鳴って
物語は終わります。
ホモイがこの玉を持っていたのはたった六日間。
それまでこの貝の火をもっていたのは「獣」で
千二百年間だったとのことです。
地球の生命の歴史を一年に換算すると
人間が登場するのは12月31日の除夜の鐘くらいだそうです。
宮沢賢治のこの作品が弟さんの手によって世に出たのは1969年
日本が戦争という熱病を経て 輸入された夢のエネルギー登場に
期待を膨らませていたときでしょう。
ホモイという名はホモサピエンス
思い ということばにもかさなります。
重いという音にも。
貝 という音はなんでしょう。
かい。
懐・・・魁 詮 界
怪
それとも 戒
そして 悔
二つに割れる貝の火は二枚貝を連想させますが
パンドラの箱が開くイメージにもかさなります。
賢治の生まれた北の地で この春
パンドラの箱が開かれました。
夢から醒めてホモイはあたらしい道を歩むことでしょう。
物語にこそ夢と希望は託されるから。
現実の私たちはどんな道を歩むのでしょうか。
貝の火
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1942.html
http://kyo-kotoba.sakura.ne.jp
秋のスケジュール更新しました。
2011年08月24日
三人寄ればに加えてもひとり
お引っ越しと同時にテレビを捨てました。
地デジ政策に対しての疑問もあったし
原発事故以来報道を信じることができなくなったので。
テレビをつけるととたんにそこが部屋の中心になってしまいます。
実家でも誰かがテレビをつけると
ふっとみんながテレビの方をみる
たまに実家に帰ってみんなで時間を過ごしたいときに
それはちょいとした苦痛でありました。
ニュースは知りたいときに確かな筋から得ればよいや。と
ずっとネットから情報をもらっています。
これまでから芸能人や政治家がスキャンダルで吊し上げられているその裏で
とても重大な決定が、知らされないままになされてきました。
テレビや週刊誌やこぞって報道しているとき
「あ 怖いことが進んでいるんだ・・・」と思っていました。
そして影響力のある?タレントさんの引退報道
これはネット上でもニュースのようですが
大事な事は もんじゅの復旧作業が来週にも始まるということ
そしてアメリカの地震によって当地の相当の原発にトラブルが発生してること
これらがお茶の間に流れたら困る人達のひねり出した苦肉の策でしょうか。
政府 原子力開発機構 電力会社が寄り集まって出し合った
もんじゅの知恵にメディアが加わって
目くらましをしているのは茶番劇にも等しいことだけど
テレビ等を情報源とする人々にそれは届いているのでしょうか
これまでこのブログでの心の打ち明けごとは
みなさんからよく言われる「浮き世離れしたともちゃん」としては
世間のなかに決まった立ち位置を求めないことが自然なことでした。
そして三月以降、黒と白とはちがうところでいのちの尊さを
見つめていきたいと思ってきました。
でももう耐えられない。
授業中も窓を閉め切っているなかで勉強するかの地の女学生がいったそうです。
「先生、窓明けてよ、私たちどうせ子供産めないんだから」
この世に新しいいのちが誕生することに
諸手を挙げて喜べない世の中なんて
あっていいと誰が言っているのでしょうか。
昨夜 近くの公園を散歩しました。
緑の茂る土から出てきた蟬(多分ヒグラシでしょう)が
何匹も何匹も地面から30センチくらい登ったところで羽化していました。
沢山残っているアブラゼミの空蝉からははるかに小さく
でも7年の地中生活からでて カラを破ってもう一度誕生したカラダは
空蝉の何倍もの大きさで
清らかな真っ白の全身を風に揺らして
目だけが黒曜石のように光っていました。
こんなに美しい神秘の瞬間に立ち会っていて
そして口では
すごいねすごいね すてきだね といいながら
自分の身体の奥がきしむような音を立てるのを
私は聞きました。
自然の中のいのちは
どんな環境をも静かに文句を言わずに受けとめている
人間のしていることは他所にしているように
そして結果としての形をみせる
ものもいわずに
人間はこの無言をこれまでさんざん聞いてきたというのに
アメリカという国になっている土地の先住民族は
物事を決定するとき
七代先の子孫に対しての問いかけをするそうです。
逢うことのない七代先の子供達が幸せでいられるか
のど元過ぎれば熱さを忘れる ということばは
いつまでも恨まずに水に流すという
日本人のある意味美しい有り様だったかと思います。
でも先の戦争を体験した方達が
その後の生涯賭けてその悲惨さを語っている日本でもあるのです。
大切なことの熱さまで忘れてしまっていいはずはないと思います。
平和なときだけレノンの「イマジン」は流れ
生前 忌野清志郎さんがラヴ ミー テンダーをカヴァーして
「何いっテンダー ふざけんじゃねえ 原発いらねえ ワインが飲みてえ」
と歌って、アルバムは発売停止となりました。
これまで地球は地震があったり火山が噴火したりしたけれど
私たちを 優しく愛して くれたよね
原発反対を叫ぶなかにも
まず人間であることの反省をこめて、
責任を執る側、追求する側に分けたうえで
追求する側に安住してしまうことには
慎重にならなければならないと思います。
日本が 耕す土壌まで失ったことは大きすぎる損失です。
ますます日本という国の足もとが根底から揺らいでくる。
喜びも悲しみも呑み込んで歌われる
ふるさと といううた
「それはどんなところ?」と子供達が問うような日本にしてしまうことだけは
してはいけないと思います。
また 原発反対の気運が高まって
原子力を研究する若者がいなくなってしまうのも問題です。
これから途方もない時間をかけて管理していかねばならない原発に対して
正しい姿勢で取り組んでいく研究者こそ必要なのだと思います。
七代どころではない、すぐ目の前の
そしていのちの鎖がつづくかぎりの後世の為に。
文殊菩薩の名を借りたプルート
勘違いした人間のと夢と欲との権化は
人間が創り出した冥界の王です
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もつひには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ
いにしえの人に 今こそ習うべきことが沢山ありそうです。
古典を読むこと 語ることが
私にとっての抗議デモです。
2011年08月18日
jazzライヴ
大口純一郎さんのトリオのライヴを聴きに行きました。
8時くらいから始まって終わったのは11時半。
たっぷり3ステージを楽しみました。
煉瓦の内装、古時計、各テーブルにアンティークの電話が置いてある
素敵なライヴハウス。
大口さんはピアノ片手に全国をかけめぐっておらるるピカイチピアニスト。
上の一文には一部大きな間違いがありますがよしとしましょう。
弾き始める前の大口さんに漂う雰囲気が好き。
曲ごとに違う世界を作るためのほんの暫くの時間
(無意識に)胸に手を当てたり
くちびるをさわったり
手をひらひらさせてみたり
また じっとなにかが降りてくるのを受けとめるように。
身体の中を変えて
それを感じているんだなあと思うのです。
導入部からは予測もつかないような展開をみるのだけれど
最初の1音を出す前の大切さは
音楽も語りも同じなんだなあと思います。
語りでも場面が変わるときには同じ事をしているなと
そこんとこが面白く感じます。
もちろん演奏はうねりをもって迫ってきて
私は流れにまきこまれて心地よく泳いだり溺れたり。
純一郎さんになくてはならないパートナーのかんちゃんは
とても素敵な女性。
お料理が上手でお話しも面白くて
最近は詩も書いておらる。
「二十歳くらいの時、ジュンイチロウ
ってご馳走なお話し。
ライヴ会場でお客様に気を配りながら
演奏を一番楽しんでいるのはかんちゃん。
なんと素敵やおへんか。
かんちゃんは着物仲間でもあり。
趣味も良い人なのだ。
昨日着ていったのは白地にうすーい紫陽花色の花段のきものに
浅蘇芳色の絽の帯。
(カメラを忘れてしもたんどす あほ。)
帰り道は月がいいあんばいに欠けておぼろ化粧。
そぞろあるきに夜の花が香って。
あんまりそぞろってると道に迷って帰り着けなくなりそうな
むんわりした空気の夜でした。
そこでちらっと見かけたものは・・・っ!
猫でもない!
狸でもない!
あれは
ハクビシンだあっ!
ひやー 初めて見たやんか 住宅地でハクビシン。
暑いのに毛皮着たはった。
2011年08月15日
磯江毅さんの絵に衝撃
土曜日に
磯江毅 グスタボ・イソエ
マドリード・リアリズムの異才
と称された絵画展に。
驚きの絵画展でした。
スペインで活動の後日本にアトリエを構え
緻密さ故に一作品ごとに時間をかけながらも
沢山の作品を残した夭逝の画家。
存在さえ知りませんでした。
写実の極みはこれまでいくつか観ては来たけれど
本物みたい、なんてものをはるかに超えていて
それはこの画家のものへの向かい方そのものであると思いました。
描く対象をとことんみつめて
その肌の下にある青い血脈の中を流れるあたたかい生 体脂
古い瓶の ほこりが積もってもなを鈍くかえる光
年月を知るテーブルや皿のこまかな傷
薄いガラス板に映り込む時空のかさなり
時間と共に潰えてゆく細胞
写真のようでありながら
驚異的な精密さで描き込まれた細部は
距離と共にかすむことなく、
離れていながら間近でみるような
人間の目の焦点が生きづいていて
小さな印刷物になっても
描かれたものの奥からそのものの本質がこちらに届いてくる
構図のみごとなことにも口をあんぐり
牧谿の「柿図」を思わせるような柘榴の配置
真上から観た丸皿の円弧にそうようにおかれた骨の露わな魚や枯れた花
闇とも言えない静謐なしとねに浮かぶように横たわる女性
深い眠りは生と死をたゆたっている
なにか禅の世界に通じるような気がして。
禅 などわかっちゃいないのですがなんとはなしに
表現することってなんだろうと考える日々ですが
自己表現にとどまっていては
どんなにその気になって達成感を味わっても
自分で作った限りある世界の中にしかいない。
ここじゃないどこかにいきたいのだけど
そしてみなさんと一緒に旅をしたいのだけど
それにはしがみついている自分を手放さないといけない。
対象の解釈、表現の手法と精度、身体の鍛練、
表現しようとする人が日々怠ることの出来ないものは山ほどあって
それは自分自身の追求に他ならないのだけれど
最終的にその自己を滅却しないと
飛びたって旅することは出来ないと思います。
ああ たいへんだ
でも
ほどかれた世界にいく可能性を
この夭逝の画家が命懸けで見せてくれたように思いました。
そしてそして
日曜日には
恵比寿の写真美術館に
江成常夫写真展
〜昭和史のかたち〜
日本人として この時期に 観ておかなくてはと。
波に洗われる南の島
そこから聞こえる 鬼哭
被爆された方々、孤児として残された方々の無言の眼差しにとりかこまれて
時々写真に写り込む自分の姿にはっとしながら。
息が詰まりそうになったけど
そのあとでみたのは
鬼海弘雄写真展
東京ポートレイト
ああ、人ってなんて個性に溢れてすてきなんでしょう。
またキャプションがすごくいい!!
写真集にサインを頂いちゃいました。
帰り道、行き交う人を見ていると
この人も、あの人も、みんな東京ポートレイトだっ
と楽しく嬉しくなりました。
ひょっとして私もそこにはいって
なにやらほほえましくおかしいキャプションが
ついちゃうのかもしれない!?
おすすめの展覧会のご紹介でした。
人間ばんざいありがとね
2011年08月12日
最年少のお客様
先日のキッド・アイラック・アート・ホールでの語り会に
小学六年生のおんなのこが来てくれました。
いつもお聴き下さっている方のお孫さんだそうです。
夏休みの宿題の課題に源氏物語があるそうで
それで来てくれたのだとか。
今回の澪標は十二歳のおんなのこにはしんどかったかなあと思いましたが
ご本人は楽しんで下さったとのこと、
あ・・・・・っと思いました。
もしかしたら
ことばの理解をはるかに超えて
物語の世界に遊んでくれたのかも・・・と
とても嬉しくなりました。
もともと読み解くのが難しい源氏物語。
現代語訳と言っても百年前の一地域語 京ことば、
しかも主格をいちいち補わない形で語っているので
ことばを追いかけて意味を理解しようとすると大変。
そこに声に出して語る意味があると思っているのですが
十二歳のおんなのこの感性で
するりと時空の旅をしてくれたのかもしれません。
驚いたことに六条御息所が好きというこのおんなのこ、
「おんなのこ」なんていったら失礼なのかも。
なぜってドラマの中に入ってゆくのに
年齢は関係ないのですから。
私もものに触れるときには
自分のちょっとばかりの経験や知識を背景とせずに
新鮮にどっぷり体感したいと思っています。
そういう天心のこころを
私は あれ心 と勝手に名付けています。
あれ についてはまた書こうと思います。
カテゴリはお絵かきかな。笑われそう。
次回は「蓬生」と「関屋」。
二人の女君との再会の巻を二帖続けて。
近くHPにお知らせします。
2011年08月10日
夏のきもの 鉄仙
少し前のことになりますが
空海展に行きました。
今年の始まりは東寺と雪の神護寺、
そこで大きな志がおりてきて
これからの活動のテーマともなりました。
語り会に臨むにあたり(おおげさだけど)
空海さんのパワーをいただこうと。
24歳の頃の書の展示にのけぞり。
筆の運びはもの凄くエネルギッシュで
厳格な行書だけど、文字は四方にはじけるような印象でした。
師恵果から授けられた法具はずっしりと
なんだか秘密のことばがみちみちているみたい。
人間って進化してるんじゃないんだなあ。
「人間って 大きいんかい 小さいんかい ?」
映画「眠る男」の中で今も胸に占めることば。
本当に大事な事はいつも隠されていて目にふれない。
昔から人はみなそれ故に求道したのでしょう。
それは現在の、知りたい現実が知らされない ということとは違う。
情報で得ることよりももっと漠とした
千変万化してそして不変の
この世の理みたいなものとつながりたいと
探求の旅にでたり、物語を編んだりしたのだろうな。
出掛けていく一方で
神聖な遊びの「場」をこしらえて
神様に来ていただく こともした日本人は面白い。
神様と一緒に遊ぶなんて
きっと西洋の人は聞いたら驚くね。
日本の神様は裁いたりしない。
だからもっと実は厳しいのかもしれない。
だからこれまで繰り返された困難から復活したのかも知れない。
昔の偉人達にふれると
自分が恥ずかしくなってしまいます
さて気を取り直し
この日着た着物は薄いミントグリーン鉄仙柄。
帯もほとんど同色のやっぱり鉄仙。
見えないけど紫とたまごいろの鉄仙花が配してあります。
夏は暑苦しい色合わせを避けて同系色や白を使って
涼しい気分を楽しみます。洋服感覚かな。
Tシャツ一枚で暑い暑いといっているより
きものを着てしまった方がしゃきんとするのは不思議。
この帯を下さった京都の方から
前回のブログの「恩返し」について
江戸時代には「恩送り」と日常的に言っていたとメールを頂きました。
いいことばですね。
空海展では東寺の立体曼荼羅の部分も展示。
高校生の頃恋した帝釈天もおいで遊ばしてます。
展示の総て、見応えがあるのは勿論ですが
館内に満ちる不思議な空気でちょっとタイムカプセルみたいです。
是非お出かけを。
2011年08月08日
祈りの日に 閉じられた箱を
キッド・アイラック・アート・ホールの連続語り会、
今回は8月6日、そして7日の日程でした。
ただいまの世の中で、また新たな意味を持ち始める8月6日 祈りの日。
そして二年前の今日8/8はキッドで語り会を始めた日。
お陰様で三周目の螺旋を昇り始めました。
暑い中お越し頂き、支えて下さる皆様に心から感謝致します。
三月以降の不安な空の下
こうして劇場という小さな箱の中でお目にかかるのは
なにか無言の内に生への切望を共有しているような気がします。
公演の折にお目にかかる方々の御健康を祈るばかりです。
無力の自分に出来ることを考えあぐねる日々ですが
ひとときの時空の旅への空間作りにとどまらず
偉大な先人が物語に託して残してくれたこころから今何を受け取るのか、
日本人に生まれたことを日本人の誇りとして喜び 響き合える時空間を
共有することが出来ないものか、
そしていにしえのことばを今紐解くことへの欲求が
自身のどこから涌いてくるものなのか・・・
今後も無形のものへの手探りが続くのだと思います。
皆様のご支援が、継続への力となっています。
紫式部と中井和子先生にはもう直接御礼が出来ませんが
毎回ほんの少しでも質の高い語りでお聴き下さる方の小さな喜びになれば
感謝と喜びの循環につながるのではと思います。
受け継いだものを有り難くまた誰かに渡すことを
ご先祖様達が続けてくれたからこそ今があるのだと。
私もそうありたいと思うのです。
京都では終戦の日にかさなるように 大文字の送り火です。
8月6日の祈りの日に初日を迎えた今回は
無限を意味するインフィニティ ∞ がかさなったような
8/8にスタートしたこの語り会の始まりの気持ちを思い起こしました。
私たちの存在には限りがあるけれど
その きわ に立ったとき
思いが無限に鎖を繋いできたことを
いのちを通して私たちは感じることが出来るのだと思います。
かつて熊野路を歩いた8月8日
果無(はてなし)峠を雷雨の中
草木や動物たちと等しくずぶ濡れになりながら
ひたすら歩いた事を思い出します。
森羅万象を包み込む緑の古道で
果てしないいのちの営みの中に
見付けられないくらい小さくぽちりと存在する自分を俯瞰して
私の人生が新しく始まったかのように思ったことでした。
起こってしまったこと
その前の時間に戻る事はもうできません。同時に
∞ めぐって ∞ めぐって ∞ めぐっても ∞
同じ処は通らない。
いつも新しいこの足もと
ここから始まるなにかがきっとあるはず。
開いてしまったパンドラの箱に残ったものが
希望だったと信じています。
2011年08月03日
魔法使いの弟子
物思い
それはどんどん膨らんでいく。
果てしなくむくむくと。
源氏の物語の背後にはみえない思いが
幾重もかさなりあってうごめいている
ちょいとそこまで なんて
気軽に出て行けなかった平安時代の姫達は
秘められた奥の部屋で
自分の外の世界に思いを馳せていた。。。
現実的な経験もほとんどない彼女らにとって
庭の四季折々の様子が 物事の変化を想像するたよりになったのだろうか。
でもそれは現代も同じことのよう。
ぽい と外国に行ける世の中だけど
日本の中の、すぐ数百q離れたところで起こっていることは
あきらかにされない。
TVを捨ててしまってさっぱりしてから
ニュースはもっぱらネットでみるようになった。
想像すると想像通りのニュースと出逢う。
そしてそれ以上の驚きと恐怖も。
そして次の日には記事は消えて無くってしまっている。
母のおなかの中に居たとき
これから出て行く世界の夢を
私はみたんだろうか。
母は
「この世界は素敵なところだよ さあでておいで」
と声なく呼んでくれただろうか。
一つの小さな喜び
それはふくふくと身体の中に育って
私を幸せにする。
そして 一つの小さな悲しみ
それにも水をやって
大きく育ててしまってる
「もういいよ」
の魔法をみんなはしってる?
思いも
経済も
原子力も。
とめどなく 見えないものが膨らんでいく。
ゲーテさんよ
魔法使いの師匠を
そっちからよこしてよ。
「 甘いね 」
とお返事。すぐ来る。
じゃあ、このまま
めまえに迫った語り会に
全心を注ぎましょう。
源氏の物語 それこそが
現象と思いの混沌のなかにあるのだものね。
2011年07月29日
身を尽くし
来週に迫ったキッド・アイラック・アート・ホールでの隔月語り会。
澪標の巻。みおつくしってなに?とよく訊かれます。
これは航行する舟の標。
大阪市章がこの図ですね。
小倉百人一首[元良親王]
わびぬれば 今はた同じ難波なる
みをつくしても 逢はむとぞ思ふ
会えない辛さに 今となっては難波の澪標に心よそえて
この身を滅ぼしてもお目にかかりたい
道ならぬ恋をうたった激しい歌。
難波の澪標は恋の標ともなったでしょうか。
『澪標』の巻の中で、源氏と明石君はこのうたにかさねて歌を交わします。
巻は源氏が京に戻り、勢力を増強し、新しい世の中が開いてゆく
そこには父桐壺院の御代
聖代をいまいちど取り戻したいとの思いがあります。
それまでの右大臣勢力には 歌心やらの風流なものは
ちょっとあっちゃにおいやられていたようで。
弘徽殿女御は大后となっても
そして死ぬまで歌の一つも詠みません。
政治的な策略には頭がまわるんですが。
でも本当に不運な人でした。
嫉妬と欲望に尽きたいやああな人物に書かれてあるけど
気の毒に思える面もあります。
「敵」が存在するということは
人物を強くもするけど、喜びがあっても
心や頭に巣くっている敵を思った瞬間に
守りに入ったりしてせっかくの喜びを地に落としてしまうこともある。。。
事実の実感のしかたで 真心は変わってしまうものだなあと
この人物を観ていると思います。
入内して第一皇子をもうけたときには幸せだったんだろうに
可愛い我が子を守るためにその身を尽くして
文字通り身を滅ぼしてしまった。
みをつくし
みなさんそれぞれ究極の
みをつくしても○○○とぞ思う がありましょうね。
特に今小さいお子さんを抱えているお母さんは切実でしょう。
日本はどこへいくのでしょうか
大事な標をなくしてしまったようです。
若かった源氏は一度世の荒波にもまれて復活し成功していきますが
やっかいな恋につい惹かれてしまう瞬間純な若さはもう失って
六条の祟りを畏れての心もあるけど、
娘の前斎宮を手放したくない色気を、
(実は実子の)冷泉帝に入内させて我が身の足固めにするため養女にするなど
いやらしい政治家の心が育っていくのです。
それは辛いこの世にまみれた上に学習したことなんだけれど
世の中をしって大人になるって そういうこと?
なんだとしたら
・・・・・
政治家さん達も、最初に出馬したときは
きれいな目をしてたりするものね。
まみれても きれいな目をしていたいなあ。
みをつくし
このところ2時間の長い巻が続いていましたが
今回は少し短くて1時間半くらいです。
前説30分もいつもどおり。
昇進して呼び名が変わったり、
だんだん人間関係が複雑になってきて
解説でも舌噛みそうです。
是非聴いてくださいませ。
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2011年07月25日
チュニジアからのたより
チュニジア ジャスミン革命のレポートを送って下さっている
チュニスに住む友人から、近況が届きました。
嫁いだチュニジアで、革命後の混沌とした社会情勢に暮らし、かつ
故郷の日本が絶えない地震と原発の恐怖にさらされていることに
心を痛めている彼女。
あちらでもこちらでも共通しているのは
『誰が家族を、民を守ってくれるの? --------だれも。』
革命であったり、地震、原発事故であったり
生きていくのに困難な毎日だけど
自分の外への責任追及から頭を外して
今、どのように生きたいのか
自分の頭で考えなくてはと感じます。
チュニジア情勢HはHPの「あれやこれや」>ジャスミン革命
http://kyo-kotoba.sakura.ne.jp/tunisie.html
の一番最後に追加してあります。
是非読んでくださいね。
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2011年07月23日
聖なるかな このしののめの そら
東照宮に行って感じたのは
この地が聖地なんだなあということ。
もちろん東照宮があるからじゃなくて
その土地自体のこと。だから宮ができた。
華厳の瀧のもの凄いエネルギーがこのあたり一体を包んでいる。
榛名神社に行ったときにも
戸隠で舞を奉納したときも
こういう地形がかもすというか、集めて放出するパワーに
人々がひかれて、大きな力に畏怖の思いで
祀ることをしたのだなあと
そう思った。
原発の施設を造るにあたって
「辺鄙なところであること」
と法で定められているらしい。
人があまり住んでいないところ。
当然そこは手つかずの自然がある。
原発施設はみんな美しい海辺の風景にそぐわない姿で在る。
そしてそのほとんどが活断層の上に在る。
どうしてそんな危ないところに?との問いに
辺鄙である という条件があてはまってくる。
でもそれは先人の智慧を無視したことだった。
その土地は昔から地震が多かったのよ。
でも昔の人は『活断層』とか『地殻変動』とかそんなことよりも
「大地が揺らぐ それは神の業の発動」
と受けとめて、そこを聖地として畏れ、
ふんづけて家を建てたりしなかったのよ。
人が神の力宿る場所として心の中で共有して
放置していたんじゃなくて大事にしていた場所。
揺らぐ場は神様が遊んだ場所だったのかもしれない
そういう場を
90年初頭にすでに53基あったということに驚いたけれど
夢のエネルギーを得るために
熱病のように日本という島のぐるりに
どんどんどんどん
想定外どころが想定不可能な魔力を持った施設を
どんどんどんどん
今遠くから夏祭りの太鼓の音が聞こえてくる
どんどんどんどん
心地の良い夢の中にいた高度経済成長
祭の音は遠くで聞く方がわくわくする。
正体のないものに 人は力を与えて
高揚し夢をみる
覚めるまで 夢をみる
朝は夢を知るためにやってくる
じゃあ
日本の夜明けだよ 今
2011年07月20日
澪標 もうすぐ
キッド・アイラック・アート・ホールの隔月連続語りが目前。
前回からまだ一月なのにね。
6.7日の土日です。巻はみおつくし。
澪標 というのは航路のしるべのことです。
都に返り咲いた源氏、新しい局面が展開。
密通してできた御子が、皇太子から帝に。
そして明石の君は女の子を出産し、住吉詣でに
偶然来合わせた源氏一行のあまりのきらきらしさに
自分の娘が不憫になるのだけれど、どっこいこの子の運命は。
その結果が出るのはずっと先ですが
新しい船出にこの標はどこに導いてゆくのでしょうか。
まずは栄耀栄華 のぼりつめます。
そして盛者必衰の理なり。ああ。
窓から白い空が見えています。
灰色だちたる雲の ぬあ〜じゅ〜とたなびきたる
今日は踊りのお稽古にいきたかったな
見学だけでもね。
でもこれからプリンタフル稼働。
二年に満たず壊れてしまったので買い換えたのです。
調べてみたら人気機種なのにトラブル続出の奴でした。
準備にいそしむわたし
澪標 是非お聴き下さいませ
ちらしがまたきれいなのです
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がんばるもんね もう一人で舞台に上がれるし。
夏の着物はほたるぼかし
流水の帯でみをつくしちゃうもんね
なんか今日は軽いノリだなあ
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2011年07月19日
東照宮
海の日
海には行かずに日光へ
華厳の瀧は白い龍でした。
那智の瀧でも同じように思ったけれど
無数の小さな龍が集まって一匹の大きな白い龍の身体をつくっていて
隙もなく身を投げている 滝壺に向かって。
岩に砕ける龍もいて、それは瞬間霧となってまた立ち昇ってゆく。
合流する小さな瀧は 大きな瀧からの放電のようにも見える
目がくらみそうになって目をすこし横にずらしてみると
岩の壁がゆらりゆらりと上にせり上がる
目の錯覚とはわかっているのだけど
この感じがたまらなくよくて何度もぐらぐらを味わう
結局目はくらみっぱなし。
東照宮の3ザルはあまりに有名なので
母ザルのみているおっきな世界
子ザルの見ているちいさな世界
若いお父さんがだっこした赤ちゃんがあんまりかわいくて
「桃みたい」って思わず言ったら
『この子 名前 ももっていうんですよ』ですと
東照宮は若かりしころ仕事の取材で訪れて以来。
仕事だと自分の見たいところは見られないもの
ただ すごく豪華な処だなあ
人間を神様にして祀っちゃうなんてさあ
くらいに思っていたけど そこここに光る職人さんの美意識!
そして龍尽くしのここにも白い龍が。
龍の力がみなぎるようなこの場所をわざわざ選んで
東照宮を建てたのでしょうか
緑とせめぎあうように でも調和して
照り輝くような姿でした
私はスーパー晴れ女
でも降るとなったら半端じゃない豪雨雷雨を経験します。
熊野でもそうでしたがここでも。
蜘蛛の巣と雨にびやんびやんに打たれるクモ君
もともと雷雨の多い場所だけど
お風呂をひっくり返したような雨
1時間ほどのうちに10回以上落雷
あの光とバリバリいう音 たまりまへぬ 好きだ・・・
ギプスが外れて久々の遠足
さすがに帰ったらクタクタで ころんと寝てしまった・・・。
明けて今日は台風の大雨
こんな日の華厳の瀧を見てみたい!
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2011年07月13日
足枷よさらば
ギプスがとれましした〜あ!!
ああ、うれしい きもちいい
どうやら風邪を引いたようで、咳がこんこんと苦しい夜を過ごし
浅い眠りで寝不足気味
おでこは熱くないのに 脚の付け根の辺りが燃えるように熱い〜
気温が高いのに風が吹くと寒気がする〜
頭が痛いのと骨折したところがずきずき。
でも今日はレントゲン撮る日。いかなきゃ。
と、日が蔭ってっから駅前の接骨院へ。
そうしたら そうしたら!回復も順調、リハビリにはいりましょうと!!
風邪のしんどさもふっとぶここち。
でも急にはしゃいじゃいけませんよ、ゆっくり歩いてね
と、私の性格をよくご存じなのか医者様に言われ。はーい。
身体の中がごおおんごおおんって鳴ってる。
今日ははやく休もう
ああなんてきもちいいんだ。感謝します!!
モモもおいしいし! ・・・?
おいしいといえば 世田谷ロールってご存じかしら
祖師ヶ谷大蔵駅傍の ニシキヤというケーキ屋さんのロールケーキは絶品です。
基本のバニラのほか季節ごとに桜、抹茶、栗等々、今はあんず。
うふふ、祖師谷近くにいらしたら是非寄って下さい。
なんともとりとめのないこと
ハッピー指数が高いせいでしょう
熱に浮かされてるだけ・・・・・か?
2011年07月11日
シンクロナイズドリーディング ?
カラ梅雨が明け、新居の東側の窓からは朝日がさんさん
じゃなくて ギンギンにさしてアサッパラからとても暑いので
最近の午前中は東側の雨戸を閉めています。
太陽の黒点がどどどと増えているようです。
黒点がまったくなかった去年から今年、
地球を取り巻く環境ごと 大きく変化しているようです。
公演の三日前に骨折して、容赦なく迫りくる「時間」に
それでも地球はまわっている と感慨に耽りました?が、
ギプスに松葉杖生活も三週間を過ぎました。
部屋の中ではもう杖無しで歩いていますが
外出となるとそうはいきません。
早く歩けないので駅などでもったらもったらしていると
駆け足の 忙しい世の中の人にぶっ飛ばされそうになるのです。
若葉マークの車ように目印の杖を持ち歩かないといけません。
駅など公共の場が身体に不自由を抱えている人達に
いかに不親切に作られているか思い知りました。
現在改修している駅などはその辺りの配慮はなされているのだと思いますが。
今日はカシオの電子辞書、高校生向きとかこまかくバージョンがあるのだそうですが
その中に収められる文学作品の朗読の収録でスタジオに入りました。
いくつかの和歌、いろはうた、紫式部日記の冒頭、
そして少し長いヘッセの小品「少年の日の思い出」
後、教科書CD用に、茨木のり子さんの詩「自分の感受性くらい」を読みました。
作品に併せてどんどん心の環境や時代を変えるのは
長々とした源氏物語の大蛇のような気分とはまた違う面白さです。
中でも「少年の日の思い出」は、瑞々しい、しかし幼い少年の心が
蝶を愛する熱情にすっかり支配され、取り返しのつかない事実を作りだし
自分の中の一番の宝物を 心の闇深くに沈めてしまった
そんな記憶が、大人になった今友人を前に語られる
読んでいて胸の詰まるような物語。
見付けた蝶を我が物にする瞬間までの
息の詰まるような感動と興奮がこまやかに描かれていて
女性の私が読んで良いのかしらとも思ったほど
少年独特の感性が綴られています。
昆虫採集は生きている虫を捕らえて、息の根を止め、展翅する
女の子にはちょっとできなかったこと。
しかも少年憧れの「クジャクヤママユ」って
画像検索してみたら 蝶じゃなくて「蛾」デハナイデスカ・・・。
でもこの作品を読むにあたって
数日前に私にも同じようなことがおこったのでした。
一瞬が、取り返しのつかないことにつながる・・・
(骨折は日と共に治るけど)。
このことは、これからもこのいのちを続けていくつもりなら
肝に銘じていかねばならないと思いました。
物語の少年のように、小さい自分だけの世界に目を瞠っているのでは。
最近いろんなことがシンクロしているのだけど
このタイミングでこの小品を読むことが必然であったのだと思いました。
起こることはみな必然として起こる
そんなことばをわかったような気になっていたけれど
本当はもっともっと大きくて複雑に絡み合った
時を超えてうねるような関係性の中の小さな交差点に私はいて
彼方から流れを汲みながらやってくるものを受け取っては繋いでいっているのだと。
縁を持って必然とみえるもの それは自分が引き寄せているのでした。
やました 修行がたり〜ん(あ ちょっと鈴の音みたい)
さて本日のお仕事で御世話になった方々から
「怪談 読ませたいな〜」とウレシイお言葉をいただきました。
去年「羅生門」を読んだときにもそういわれましたが
本日はなにゆえに・・・?と思いました。うふふ
暑さのせいでしょうかね。ぞわ〜ん
2011年06月23日
復活
四月のキッド・アイラック・アート・ホールからふっつり更新せずにいましたが
いろんな意味で復活!です。
四月の隔月公演の翌日、にわかに引っ越しを決め、その準備に取りかかりました。
ひと月足らずの猶予しかありません。
ん十年の歳月と共にふくらんだ持ち物、さてこれをどうすべ。
そんなどたばたの中、7日には富士山嶺にお住まいの
貝合わせ作家 松尾春海さんの「週末空間まろう」で
大好きなシタール奏者の伊藤公朗さんと、息子の快君と三人で
「夕顔の巻」。初めてシタールとギターで語りました。
最初インド音楽と源氏物語…とどうなるのかしらと思いましたが
シタールの陰影に富んだミステリアスな音色で六条御息所を、
ギターのやさしげな清い音色で夕顔の君を表現していただくことにし、
掛け合いも交えての立体感ある語りの場となりました。
質の違うものがなにか曼荼羅のように響き合って
初めてのスリリングな要素も手伝って、またもう少し工夫して
どこかお寺などでやってみようと思いました。
そして13日から三日間、地震と津波に被災した大地を踏みました。
ある取材に同行してのことです。
まず岩手に入って、中尊寺をお参りしました。
こちらはまだ桜が咲いていて、今年はほんとうに桜に心よりそう年だと思いました。
ここに先の松尾春海さんの亡くなったご主人で仏師の 秀麻呂さんの三尊像に出会い、
一週間前に春海さんにお目にかかったときには予定していなかったことだったので
ご縁だなあ と感じました。
街を車で抜けていくと予兆もなくあるところからいきなり瓦礫。驚きました。
被災した気仙沼 波がなめたところ、そうでないところの差は
あまりにも大きく違っていて、港には焼けただれた舟が、
倒壊を免れた住宅地には置き去りにされた大きな舟がいくつも。
映像で見ていたにしても実際、目を疑うような光景です。
全体をあらわにした舟の異様な姿がここかしこにまだ放置してあり
「すぐには撤去できません」の印のように、転倒防止の支えが溶接してあります。
志津川の被害も大変なものでした。
松島の松林…東松島の海岸線はなぎ倒された松と更地のようになってしまった大地
まるで古生代に来たかのようでした。おおかたの松はかたづけられていましたが
海水の沼地から首をもたげた松の茶色い姿は鳴くのをやめた生き物のようでした。
松島は津波は免れたようで、宿の窓から大きな大山蓮華が咲いているのが見え、
東北の地は、いまこそ光に包まれる季節のただ中にいるのだ と
痛ましくも、地の力を信じないではいられませんでした。
閖上には入れませんでした。
岩佐市 亘理町 そして荒浜
全く被害を受けていないかのように一見見える家の向かいは
基礎しか残っていない波の爪痕。
延々と続くその光景 きっと総動員して作業しているのでしょうが
目に見える復旧作業は、広大な瓦礫の広がる中に重機がぽつぽつといった印象でした。
そして空はどこまでも青くて これは日本のどこにも繋がっている空なんだ
地球全体をおおっている空なんだと
東北 ではなく 私の生まれた国 そして地球のことなんだと思いました。
空になった味噌樽がいくつか残る大きな倉をお持ちのお家の前を通りがかり、
そこではがれきの山を前に可愛い兄弟が遊んでいました。
お祖母様からお話を伺うと
商いはもうできず、家の修理にも莫大な費用がかかってしまい、もう引っ越すしかない。
家族全員怪我もなかったけれど、お向かいの家は基礎ごと流されて、
住んでいた老夫婦も見つからないままだと言うことでした。
それでも幼い子供が遊ぶ声に希望がみえましたが
遊ぶと言っても、おもちゃもなにもみんな無くなってしまい、
お父さんががれきを片付けるのに使うハンマーで
壊れた様々のものをさらに細かく砕いているのです。
締め付けられるような気持ちになりました。
三日目には何と言うことか、
こんな惨状にも目が慣れてしまったとでも言うのか
あまりの広範囲、目に見えるものすべてが筆舌尽くしがたい有様のあまり、
感覚がもうどうかしてしまっているのです。
そして日々順応してゆく子供には
この状態がどう躰にしみついてゆくのだろう。
毎日毎日当たり前に目にするものすべてが がれきの山
頑丈に見える車までもがくちゃくちゃに潰れているのを見続けて
「こうであったものが こんなになった。 あるべき姿はこんなでなくて こう。」
と頭で整理できる大人とは違った子供のやわらかい感性に
今後どう響いてゆくのだろうと 複雑な思いです。
今もあの子達の可愛い声と笑顔を思い出します。
今はどこの小学校に通っているのかな…。
油の混じった海水が、土地のあちこちにまだ溜まっていて
マンションに簾のようにかかった養殖のホタテ貝や海草の臭い
一見ぐしゃぐしゃの瓦礫も 傍を歩いてみると そこには
誰かの思い出の詰まった日記や宝箱、毎日使ったお茶碗 着物 かわいがった人形
一つ一つに物語が詰まっているものばかり。
そういうものたちがじっと口をつぐんで
やわらかいものは風にひろひろと棚引いているのです。
きっとまだ今も。
一瞬 時空が歪められたみたいに 別ものに変わってしまった世界
あちこちに見る壊れた時計は 津波の時間をさして止まっていました。
東京に戻って 自分の部屋の沢山の荷物と対面しました。
これは 要る?これは? と自分に問いました。
時間をかけて、ものの持つ魔法の効力が解けているものがたくさんありました。
どんどん捨てました。どんどん。
捨てられずにもっていたもの沢山とさよならして
旅の人みたいに生きられたら。
25日に それでも時間切れで沢山の荷物と共に引っ越しをしました。
さあ、これから捨てるのだ。
大家さんは本当に親切な方で、出て行く私を残念がって下さり
たくさんのお心遣いをいただきました。うえええん。ありがとうございました。
さあ、新居片付け! と思ったのですが、29日は神戸の公演。
6/4は人形町の細尾さんでの語り会、
そして目の前にもう隔月公演が迫っています。
チラシの発送も遅れていて今回は慌てました。
そしてキッド・アイラック・アート・ホール目前の水曜日!
なれない階段から落ちましたのです。
左足の捻挫は何度も経験していて、その対処法も心得ているつもりでした。
でも今回はちょとちゃう。息が詰まって目の前が暗くなって心臓ばくばく。
鍼灸師のさくら姐さんに電話すると「すぐレントゲン!」「はい!」
ネットで一番近い整形外科へ。
「はい 山下さん 折れてます。」「へ?」「骨折です」「は 」
痛みよりも、この週末が本番だっちゅうことに 気が遠くなりました。
まだまだパンフレットもプリントしていない、当日の解説もまとまってない、
衣装も決めてない、音楽CDも焼いてない!ないないない!
「どないするのん 山下さん…」 自問に自答
「やるしかあらしまへん」
両手に松葉杖で十二分程の道のりを一時間もかかって戻り
まずは頭を冷やしていると、さくら姐さんが夕食を持ってお見舞いに来て下さって
おかげでずいぶん客観的になれました。
それからやました ターボかかりました。
普段使わない頭も使いました。
毎回、準備不完全で、よおおし!と自分にOKが出せないままに本番の日を迎えていますが
手も足も出ないと判ると開き直るのか 緊張している余裕すらありまへなんだ。
でも読みに集中していると痛みを忘れるのが「ええやん」
実際痛がってる間も無く本番でした。
巻は明石。すらりとした美人。さすがに着物で 右足は細い草履に
左足はギプスにおっさんサンダル松葉杖はいただけまへん。
ステージドアの向こうでおっさんサンダル松葉杖の呪縛を解いて
(ものは云いようやおへんか)
友人に手を引いてもらい、花嫁のように登場(ものは云いようやて)
二日間なんとかこなし、終わった安堵感に
「お足元にお気をつけて御返り下さい」やて
あんたに云われとうないわ。
というところでござりまひょう。
本番前の緊張感 それで頭が空になっていてはいけません
そういうときこそ心を澄ませて落ち着いて行動せねば。
着物など着て源氏物語など読んでいると
おしとやかな人 って思っておらるる方が多うござりましょうが
とんでもあらしまへん
ほんまに粗忽者。
キッド・アイラック・アート・ホールの翌日、今度は京都の仕事で実家へ。
両親もびっくり。
ま、なんとか日々を送っております。とても元気です。
やけくそではなくほんとうに。
こういう時ってどういうわけか仕事が続くのですね。
明日は震災津波関連のナレーション取り
日曜は赤城山の麓 緑陰の素敵な素敵な中ノ沢美術館で
彫刻に囲まれて源氏物語です。
痛みも苦しみもそして喜びも
いただいているいのちあってこそ。
置かれている状況の中を どう 生きるのか
真剣に考えろ と雷が落ちたのでした。
感謝します。
http://kyo-kotoba.sakura.ne.jp/
2011年05月19日
元気でいます
ブログの更新が絶えているので皆様から
どーしちゃったんだ とメールなどいただき
ご心配かけました 元気でおります。
京都の語り会の後、キッド・アイラック・アート・ホールでの須磨の巻
そして突然に決めたお引っ越しとその準備
そして被災地へ
めくるめく日々 を送っています。
震災のことがどうしても影響して
なにか書こうと思うのですがすらっと言葉が出てきません。
落ち着いたらまた更新します。
待ってて下さいね。
そうこうしているうちにもう六月
KIDは明石の巻
明石の海岸は是非歩いて浪の音を身体にしみ込ませて来ようと思います。
台本がまだ出来ていないという脅威!!
どーしちゃったんだ とメールなどいただき
ご心配かけました 元気でおります。
京都の語り会の後、キッド・アイラック・アート・ホールでの須磨の巻
そして突然に決めたお引っ越しとその準備
そして被災地へ
めくるめく日々 を送っています。
震災のことがどうしても影響して
なにか書こうと思うのですがすらっと言葉が出てきません。
落ち着いたらまた更新します。
待ってて下さいね。
そうこうしているうちにもう六月
KIDは明石の巻
明石の海岸は是非歩いて浪の音を身体にしみ込ませて来ようと思います。
台本がまだ出来ていないという脅威!!
2011年04月19日
今年のさくら
自粛ムードの中、今年の桜だけは見ておきたいと
思っていました。
つきまちの会で谷戸あるき。
つきまちの会Tさんらと以前探し歩きましたがその時は見つけられず
その後Tさんが一人で探し当て、皆を案内してくださいました。
里山の風景にひっそりと咲く桜。
携帯のカメラしかなくて残念ですが。
そして仕事の関係でお邪魔した
森の写真を撮っておられる志鎌猛さんご夫妻が
あちこちの桜を案内してくださいました。
圧巻は樹齢二千年のエドヒガンザクラ。
志鎌猛さんのプラチナプリントによる森の写真は
しっとりとした日本の森の気配
湿り気のある空気の粒子が微妙な階調の中に見えるような写真です。
森に迷い込んで
その静謐な空気を呼吸しているような気持ちになります。
そこに写っている一番奥の
ほのかな光や闇に自然と繋がるのです。
そしてそんな写真を撮られる志鎌さんの眼差しは
森の木々と呼吸を共にしているように静かでした。
時を 気配を じっくりとみつめていくという
自身のめざしたいありようとして
とても学び多い時間でした。
今年の桜は忘れられない体験になりました。
いまひととき 渾身の力で咲く桜の大樹のもと
私にもふいにきらめきが降りてきて
戸惑いながらも二度とない一瞬をうけとめました。
不思議な時空でした。
チュニジア情勢G
革命のさなかにあるチュニジアの友人が最新レポートを送ってきてくれました。
治安が乱れ大変な様子です。
そんな中でも日本への思いやりを送ってくれる彼女に感謝です。
是非お読みください。
http://kyo-kotoba.sakura.ne.jp/tunisie.html
チュニジア情勢Gは最下部です
2011年03月29日
あまのはしだて
秋の国民文化祭京都 のお仕事の下見で、
与謝蕪村縁の地京都与謝野に来ています。
まだ明るいうちに打ち合わせが終わって、
天橋立までは少し遠いのであきらめ、
ホテル周辺に古い神社があるというので向かっていました。
するとだんだん聞こえてくるガッシャンガッシャンという音。
(機織りの音だ)と判りました。
そう、ここは丹後ちりめんの里なのです。
国道から田んぼの畦道に降りて、お家が並ぶ路地に迷うように入って
機を織る音に導かれ、一件のお家の前でその音を聞いていました。
すると通りがかったご夫婦が、怪訝な顔で「なにしとんなるの?」
これこれと説明すると、にっこり笑って「おいで」と。
機織り工場に「見せてやって」と口をきいて下さいました。
話す声も聞こえないほどに
工場の中はたくさんの機織りが動いていて
奥さんが時々止めては説明をして下さいます。
奥さん担当の機は4台、帯揚げを織っていらっしゃいました。
後で染めるのでしょう、真っ白な細い絹の縦糸がぴんと張られて
ガッシャンガッシャンどんどん鶴やら小花模様が織られていくのです。
ご主人は錦の帯を織っていらっしゃいます。
渋い紫の縦糸に、金や銀、紫の糸が複雑に交差して
正倉院文様が織られていきます。
裏面が上になって巻き取られていくので、
おなじみの袋帯の中はこうなっているんだーと驚きました。
模様として表に出ている部分よりも、裏に渡っている糸の方が多いんです。
贅沢な物だなあと思いました。
素早く美しい手さばきで継いだ糸の処理をされるのを
あかず眺めているうちに真っ暗に暮れてしまったのにも気がつかず。
奥さんは「娘にホテルまで送らせるから。」などと、
こんなにお邪魔してお手間取らせた私に言って下さいましたが、
「大丈夫!!」と、失礼しました。(もう、ちゅーしたい)
・・・とはいったものの、そのお家を出ると、ホテルはむこうに見えるのだけど
真っ暗なたんぼにはばまれ、来た道も判らない!
そう、来たときはあぜ道を抜けたのでした!
しばらく歩いて車の通る道を見つけ、無事ホテルに。
食事をしながら昼間見た海や山、田んぼや川を思い出しました。
この辺りは幼い頃、父が毎年海水浴に連れてきてくれた場所。
この自然、絶対失ってはならないと思いました。
東北の地には、痛みと恐怖にひしがれながらも
生きようとする力をほとばしらせている人たち。
明日は天橋立に行って、天に架かる橋に祈ってこようと思います。
そして私も、非力ながら自分の出来ることをしようと思います。
2011年03月24日
2011年03月19日
四月二日の語り会
今日震災から九日ぶりに救助された男性がありました。
たどり着けた避難所で、寒さのために沢山の方が命を落としておられる一方で
こうしたニュースは現地で救助を待っている方や救助活動なさっている方々の
大きな力になると思います。
四月二日には京都で中井和子先生三回忌の語り会を企画しています。
東北、関東での語り会が中止になり、控えるべきかとも思いましたが、
逆にこんな時にこそ、
ひしがれるような痛みを和らげるものは必要なのではと思います。
食べ物さえない被災地の方々を支えるのは、
今命を無事に戴いている私たちの力だと思います。
DMでのご案内文は、震災以前に作ったもので、慌ただしく出してしまったので
心に引っかかってしまっています。
その後メールでご案内した皆様には、語り会を予定通り催す気持ちを送りました。
DMで受け取って下さった方にお読みいただけたら嬉しいです。
日本はもともとが揺らぎの国です。
地震や津波はいにしえから日本列島に暮らす人々に知恵を与えてきましたが、
西洋に憧れ、土地風土を無視したエネルギー供給の装置を模倣し
こんなにまで肥大させた経済最重視の世の中が、
先人の知恵をすっかり忘れさせていたようです。
今こそ日本の深々としたこころを取り戻すことが求められていると思います。
それは眠っているだけで、今回のような時に目覚める可能性があると信じます。
やまとたましい とは源氏物語に初めてあらわれる言葉です。
戦争に都合良く使われもしましたが、もともとは日本人独自の、
外から入った知識にたよらない洞察力、行動力をいったそうです。
今回の地震で、海外の方達がまっさきに、
私たちのそうしたやまとたましいの一端を発見してくれたことはニュースにもなりました。
中井和子先生の三回忌の気持ちで企画した今回の語り会ですが、自然の猛威と、
自然を無視した経済 利便を追求した結果の惨状にあえぐ東北の地にむけて、
西は命を繋ぐ愛の力を盛んに興し、経済と文化とほほえみを絶やさないように
支援の力に変えていきましょう。
西の地に生まれて東の地に住まわせてもらっている自分にも
そういう役割があるのだと信じたいです。
今回の語り会のお知らせは、皆様を是非にとお誘いするものではありません。
勿論お運びいただききいていただけたら嬉しいことですが、
いにしえと今を繋ぐ源氏物語を語らせていただく身として、
活動を通して今後の復興に関わり、
今をあしたに繋げたいと思う気持ちを述べました。
皆様がそれぞれに、ご自身のお仕事や生き甲斐を通して、
支援をお続けになって下さい。
私のようなものがえらそうに言うことではありませんが、
今こそ心を一つにして、にほんのこころを取り戻しましょう。
合掌
たどり着けた避難所で、寒さのために沢山の方が命を落としておられる一方で
こうしたニュースは現地で救助を待っている方や救助活動なさっている方々の
大きな力になると思います。
四月二日には京都で中井和子先生三回忌の語り会を企画しています。
東北、関東での語り会が中止になり、控えるべきかとも思いましたが、
逆にこんな時にこそ、
ひしがれるような痛みを和らげるものは必要なのではと思います。
食べ物さえない被災地の方々を支えるのは、
今命を無事に戴いている私たちの力だと思います。
DMでのご案内文は、震災以前に作ったもので、慌ただしく出してしまったので
心に引っかかってしまっています。
その後メールでご案内した皆様には、語り会を予定通り催す気持ちを送りました。
DMで受け取って下さった方にお読みいただけたら嬉しいです。
日本はもともとが揺らぎの国です。
地震や津波はいにしえから日本列島に暮らす人々に知恵を与えてきましたが、
西洋に憧れ、土地風土を無視したエネルギー供給の装置を模倣し
こんなにまで肥大させた経済最重視の世の中が、
先人の知恵をすっかり忘れさせていたようです。
今こそ日本の深々としたこころを取り戻すことが求められていると思います。
それは眠っているだけで、今回のような時に目覚める可能性があると信じます。
やまとたましい とは源氏物語に初めてあらわれる言葉です。
戦争に都合良く使われもしましたが、もともとは日本人独自の、
外から入った知識にたよらない洞察力、行動力をいったそうです。
今回の地震で、海外の方達がまっさきに、
私たちのそうしたやまとたましいの一端を発見してくれたことはニュースにもなりました。
中井和子先生の三回忌の気持ちで企画した今回の語り会ですが、自然の猛威と、
自然を無視した経済 利便を追求した結果の惨状にあえぐ東北の地にむけて、
西は命を繋ぐ愛の力を盛んに興し、経済と文化とほほえみを絶やさないように
支援の力に変えていきましょう。
西の地に生まれて東の地に住まわせてもらっている自分にも
そういう役割があるのだと信じたいです。
今回の語り会のお知らせは、皆様を是非にとお誘いするものではありません。
勿論お運びいただききいていただけたら嬉しいことですが、
いにしえと今を繋ぐ源氏物語を語らせていただく身として、
活動を通して今後の復興に関わり、
今をあしたに繋げたいと思う気持ちを述べました。
皆様がそれぞれに、ご自身のお仕事や生き甲斐を通して、
支援をお続けになって下さい。
私のようなものがえらそうに言うことではありませんが、
今こそ心を一つにして、にほんのこころを取り戻しましょう。
合掌
2011年03月16日
繋がってます あいしてる
極小さい揺れでも家の構造によって増幅するのか
間断ない余震にさすがに心細くなって
風邪から喘息の症状もでてちょっと参っていたところに
家から自転車で10分ほどのところにいる詩人で
一人暮らしの「東京のお母さん」から電話があり、
そちらに避難することにしました。
14日の、無計画停電初日のことです。
初日は直前の対応を迫られたりで
予想以上の都市の混乱があったせいかもしれないけれど
結局その日も昨日もそして今日もこの地域は停電なしです。
昨夜はだから自主的に停電しました。
キャンドルを3つ、充電しておいたパソコンで
あずま母に撮りためた写真をみてもらったり、
この間感銘を受けた文章など声にして読んだり
静かに時間が過ぎました。
この時間は貴重でした。
一人だったらどうだったか、揺れるし心細いし、
できなかったかもしれないけれど、その夜あずま母と
肩を寄せ合って過ごした時間は絆を深めてくれました。
ろうそくの火で、顔に火影がちらちらとゆれて
あずま母の瞳の奥もゆれていました。
もし、家族やあいするひとと一緒にいるなら今夜、
停電してみて下さい。TVを切って灯りを消して
朱いちいさなともしみに、命を感じてみて下さい。
火は私たちの心にも手にも暖かさをくれもするけれど街を焼き尽くしもする
私たちはいつもそういうものと隣り合わせに生きているんだと思います。
改めてそれを見つめるとき、今という一瞬が実感されます。
東母の家はネット環境にないので、今戻ってメールをチェックしたりしています。
被災地には知人友人が沢山います。
心配だけれど不安のエネルギーを送らないように心がけています。
スリランカの津波で命を落とした友人の 姉ちゃんと父さんが
会津でまた被災、津波は免れましたがあの時の悪夢が蘇って
心底辛い思いで過ごしています。昨日はその父さんの誕生日でした。
苦しみも喜びも命あってこそ感じることができるのだと思います。
今朝、被災した妊婦さんの出産ニュースをみました。
命は確実に受け継がれていますね。
今日明日だけ見つめると不安に苦しむ現実ですが
きっと日本は再生します。
明治以降、西洋的なものの考え方でつくってきた日本の社会にたいして
日頃埋もれているいにしえの日本人の魂は何かしらの不具合を
感じていたのではないでしょうか。
日本という希有な国に生まれた私たちのこころは今こそ浮上して、
支え合う心で繋がってゆくことを求められているように思います。
不安からの買い占めを控えたり、節電したり、
そしてこんな中でもちいさなふれあいに笑顔を忘れずに生きましょうね。
今日は風が強い日です。
風はどこまでもつながっています
こころもつなげましょう。
追記
これを書いてすぐ、実は電力は余っているとの情報を得ました。
それでも原発が必要だと思わせるための操作だと。
危機感を持たせて結局中止にしても大事なさそうな現状から見ると
あり得ないことではないかと思います。でも
だからといって今無事でいる私たちが、この地震から学ぶべきことを
見逃してはいけないと思います。
余っていようが関係ない
これまで我欲のままに利便要求ばかりして、それに応えないと抗議をし、
それを権利と主張してきた生活のありようを、こういうときに見直さないことには
日本の再興はあり得ないと思います。